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大学への発展を念頭に白山へ移転

大学への発展を念頭に白山へ移転

2013年8月19日更新

大学への発展を念頭に白山へ移転

1897(明治30)年12月に完成した小石川区原町の哲学館の新校舎

なんとか新校舎の開校にこぎつけたものの、台風による校舎崩壊およびその再建のため、井上円了は多額の負債を抱えることになってしまいます。すでに多くの人から寄付金をもらっており、再び寄付を募ることは難しい状況でした。

苦境に陥った円了を救ったのは、この時も勝海舟でした。新校舎完成後、海舟は負債の解決法について円了の相談に乗ったようです。このころ、円了は哲学館を将来、大学へと発展させる構想も明らかにしています。それは、従来の普通科1年、高等科2年を統合して普通科3年とし、その上に国学科、漢学科、仏(教)学科、洋学科の4専門科を設置し、計5年間の課程に移行するという内容でした。その構想を実現に導くためにも、資金はいくらあっても足りない状況だったのです。

話し合いを重ねた末の2人の結論は「全国各地を巡回して学術・教育・宗教に関する講演会を開催し、広く大衆から寄付金を得る」という画期的なアイデアでした。

そして円了は1890(明治23)年10月、全国巡講の旅を始めます。この旅は、足かけ4年にわたって繰り返し行われ、実に、北海道から九州までの全国各地で講演会を開催。結果的に3500円余りの寄付金が寄せられます。この旅は円了に、経営者としての自覚を持たせることにもつながりました。

講演会の成功もあって、円了は1895(明治28)年から翌年にかけて、現在の東洋大学白山キャンパスが建つ小石川区原町の土地3750坪(約1万2000㎡)を購入、大学構想の実現に動き出します。ただし、全国巡回で集めた寄付金では大幅に不足しており、負債返済のため新たな寄付金を募集しなければなりませんでした。

この時も円了は海舟の力を借りています。寄付してくれる人にお礼として、能書家として知られる海舟の書を渡すことにしたのです。海舟の書を希望する人は多く、寄付金は順調に集まっていきます。

しかし、円了は再び災難に見舞われます。1896(明治29)年12月、本郷区駒込蓬莱町の哲学館の校舎は、隣接する中学校から出た火事により全焼。それでも円了は、すぐさま再建に向けて行動を起こします。1週間後には寺院を借りて授業を再開、翌1897(明治30)年1月には文部省に原町への移転願を提出します。同時に、同年1月には漢学専修科を、4月には仏教専修科を設置して、大学移行構想の実現にも動き出します。

新校舎はこの年の7月に完成。10月には新築落成式・開館式と記念講演会が開かれ、現在の白山キャンパスの建つ土地で、哲学館は新たなスタートを切ることになるのです。


原町校舎の全景。中央右手に見える2階建ての家は、円了の自宅