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哲学の普及・伝道に本格的に乗り出す

哲学の普及・伝道に本格的に乗り出す

2013年12月20日更新

哲学の普及・伝道に本格的に乗り出す

円了の代表的な著書の1つ『哲学一夕話』。
1886(明治19)年から翌年にかけて第1~3編が発行された

1885(明治18)年7月、東京大学を首席で卒業した井上円了は、哲学館創立の準備に取り掛かると同時に、哲学普及に本腰を入れます。

先にも紹介したように円了は、東京大学4年の時に哲学館の開設を東本願寺に上申していました。しかし、将来、教団の幹部として活躍することを期待して、給費生として東京大学に円了を派遣していた教団は、これを許可せず、円了に教団に戻るよう要請します。それでも円了は意思を曲げず、何度も教団と交渉を続けました。最終的に教団が円了の希望を受け入れたのは、哲学館創立後のことでした。

教団の要請を断り続けた円了は、結局、東京大学の国費研究生という形で、東京に残ります。そして、哲学館を創立する1887(明治20)年9月までの約2年間、他の私塾などの講師を務めながら哲学や仏教関係の著作に励みました。

1885(明治18)年11月に初めての単行本『破邪新論』を刊行。翌1886(明治19)年には『哲学一夕話』『哲学要領』『真理金針』といった代表的著作を矢継ぎ早に発行します。このうち『哲学一夕話』は哲学を分かりやすく対話形式で解説したもので、日本を代表する哲学者である西田幾多郎は青年時代にこの本を読んで哲学の道に入ったそうです。

著作が増えたこともあり、円了は棚橋一郎と哲学書の出版を目的とする出版社、哲学書院を1887(明治20)年1月に設立します。そして、2月からは哲学会の学会誌である『哲学会雑誌』の刊行を始めます。

また、1885(明治18)年10月には「哲学祭」を開催し、釈迦、孔子、ソクラテス、カントを「四聖」に選びました。現在、東京・中野の哲学堂公園の四聖堂に祀られている四聖は、このとき公になったのです。哲学祭は「哲学堂祭」と名前を変え、哲学の普及・伝道を目的に、今も毎年11月の第1土曜日に開催されています。

円了はなぜ、東京大学卒業後すぐに哲学館を創設しなかったのでしょう?

その理由を示す記録は残っていませんが、教団との交渉に加え、円了に続いて東本願寺から東京大学に留学していた後輩たちの卒業を待ったと考えられています。清沢満之や柳祐信といった後輩たちは、円了の影響を受け、宗教関係の新しい学校を設立することを希望していたようです。2人とも卒業後、哲学館の初代講師陣の一員に名を連ねていることからも、その辺りの事情は察せられます。

哲学書院が1887(明治20)年2月から発行した『哲学会雑誌』