1. トップページ >
  2. Play Back > 2013年度 >
  3. 哲学館の誕生と欧米視察の旅
哲学館の誕生と欧米視察の旅

哲学館の誕生と欧米視察の旅

2013年7月31日更新

哲学館の誕生と欧米視察の旅


円了のノートに書かれた『東本願寺への上申書』の下書き
(井上円了記念学術センター所蔵)

東洋大学の前身である哲学館は、1887(明治20)年に誕生しました。なぜ井上円了は哲学館を創立したのでしょうか?その動機は、円了が東京大学文学部哲学科4年の時に作成し、現在、井上円了記念学術センターに保管されている『東本願寺への上申書』の下書きからうかがえます。

当時、円了は将来の幹部候補として、東本願寺から東京大学に給付生という資格で派遣されていました。このため、卒業後の進路について、東本願寺の許可を得る必要があったのです。

上申書の中で円了は「仏教とその他の宗教を学ぶ者たちが集い研鑽する場所をつくりたい」と訴えています。具体的には以下のような目的を掲げ、こうした哲学の研究を通じて、欧化していく日本に歯止めをかけ、真の文明開化を目指しました。

(1)西洋哲学を研究し、仏教の諸説との応合を明らかにすること
(2)物理学・生物学を学び仏説と理学との論争を調和すること
(3)キリスト教の真理を論破し、仏教の真理を公開すること
(4)政治・道徳の性質、社会の事情を見極め布教に役立てること

東大卒業後の進路として、文部省から任官の誘いもありましたが、円了は「将来は宗教的教育的事業に従事して、大いに社会の発展に尽くしたい」ときっぱり断っています。

円了は、大学卒業後2年が経過した1887(明治20)年6月に「哲学館開設ノ旨趣」と題した趣意書を発表、哲学館構想が世に知られるようになります。そして同年9月16日に、生徒約130名など総勢約200名が参加して、文京区湯島の麟祥院で仮開館式が挙行されます。哲学館は、この寺の一室を借りてスタートしたのです。

翌1888(明治21)年1月には、『哲学館講義録』を発行し、今でいう通信教育も開始します。そして開校間もない哲学館の運営を、友人で講師でもあった棚橋一郎に託して円了は、欧米先進諸国の哲学教育の現状を視察するため、1年間の欧米旅行に出発しました。それは、哲学館が大学への道を歩むきっかけとなる旅でした。


東京大学時代の集合写真