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東洋大学のカタチ:創立者 井上円了とは

東洋大学のカタチ:創立者 井上円了とは

2014年5月24日更新

創立者 井上円了(1858-1919年)

東洋大学は、建学の精神として「諸学の基礎は哲学にあり」「独立自活」「知徳兼全」を掲げています。
これらは、創立者 井上円了にそのルーツを求められます。井上円了とはどんな人物だったのでしょうか?

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井上円了(40代後半)

「諸学の基礎は哲学にあり」

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洋学校時代の円了

井上円了は、幕末の1858(安政5)年、越後国長岡藩(現・新潟県長岡市)の慈光寺に生まれ、10歳の頃から漢学や算数を学び、16歳で新潟学校第一分校(旧長岡洋学校)に入学して洋学や数学を学び、19歳で京都東本願寺の教師教校英学科に入学。翌年、その給費生として上京し、東京大学予備門を経て、23歳で東京大学文学部哲学科に入学します。
東京大学では西洋哲学に出会い、哲学を学んだ目で仏教をも見つめ直し、「洋の東西を問わず真理は哲学にあり」と確信します。円了は、哲学を物事の原理・原則を探求する学問と捉え、あらゆる学問を学ぶ際に基礎となるものと考え、後に哲学を教授する教育機関を構想します。

「独立自活」「知徳兼全」

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本郷麟祥院の一室に哲学館が創立される。
24坪、130名の学生で開講。

円了の青少年期は、明治維新という大きな歴史の転換期で、文明開化の名のもとに、欧米諸国の価値観が追い求められていました。その中で、西洋のみならず東洋の哲学をも探究することが日本文明を開化していくと考えた円了は、1887(明治20)年、29歳で東洋大学の前身である私立「哲学館」を創立します。
哲学館では、哲学に止まらず、社会学、教育学、心理学から妖怪学まで、さまざまな授業が行われました。また外国語学習など、コミュニケーション力の養成も大事にされました。円了が目指した教育は、自分なりの哲学や考え方を持ち、主体的に行動する「独立自活」の人、知性と人間力を兼ね備えた「知徳兼全」の人を養成することでした。

世界一周旅行と巡回講義

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円了が全国巡回講演に携えた鞄

円了は、海を渡ることが困難な明治時代に、三度の世界旅行を行います。欧米のほか南米・オーストラリアなど広範囲に及び、何でも自分の目で確かめようとする円了の気概が感じられます。海外で得たものは、すぐに教育の改革に取り入れるなど、常に前向きで真摯な開拓者でした。
また円了は、各地に足を運んで講演活動を行いました。大学を引退した後は、広く国民の社会教育に貢献しようと、巡回講演を行い、その生涯で回数は5,000回以上。聴衆の数は130万人にのぼり、その場所は中国や韓国へも及びました。