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Play Back:創立者 井上円了に「経営者」の視点を授けた私立哲学館の恩人 勝海舟

Play Back:創立者 井上円了に「経営者」の視点を授けた私立哲学館の恩人 勝海舟

2016年12月23日更新

幕末維新の大人物、勝海舟。明治維新以後、江戸幕府と明治政府との橋渡しに尽力した幕藩体制解体の先駆者として知られていますが、実は東洋大学の前身「私立哲学館」を陰で支えた人物でもあります。

1889(明治22)年、勝(当時66歳)は、哲学館の発展を目指して新校舎の建設を進めていた若き井上円了(東洋大学創立者、当時31歳)と出会います。長年世界を見てきた勝は、西洋の近代的な文化を教育にも取り入れることが必要だと考えており、自らの信念で教育の場を築く円了の志に大いに感心しました。

2人の出会いからわずか1週間後、完成に近づいていた哲学館の新校舎は大型台風の影響で倒壊してしまいます。不屈の精神で再建に乗り出した円了に向け、勝は「精神一到何事か成らざらん(精神を集中して事に当たればいかなる難事でも成し遂げられないことはないという意味)」の精神を伝え、多額の資金を援助。さらに「どんなに良い仕事でもお金がなければ何もできない。とにかくお金を作りなさい」と経営の視点からアドバイスを行い、自ら寄付金募集の手助けを買って出るなど、豊富な知識と経験を生かして円了の活動をサポートしました。教育者とは経営者としての働きも重要であるという勝の考えは、若き円了に組織のトップとしての自覚や責任感を持たせました。

さらに勝は2度の校舎建設で資金難に陥った円了に「自ら行動をおこすことで誠意を示すことが大切」と諭し、哲学館の趣旨や哲学、海外事情などを伝える講演会を全国で開いて寄付を募るきっかけを授けました。そうして始まった事業こそ、のちに円了が生涯にわたって行った「全国巡回講演」なのです。その後も勝は巡回講演が円滑に進むように訪問先への紹介状を託したり、能書家として寄付金のお礼に揮毫書(きごうしょ)を贈るように気遣ったりと、「陰ながらの筆奉公」として支え続けました。

1906(明治39)年、哲学館は「私立東洋大学」に発展。円了は勝のサポートに深く感謝し、「哲学館の三恩人」の1人として讃えました。勝の目には、円了が夢と希望にあふれる我が子のように映っていたのかもしれません。偉人の温かく献身的な支援があってこそ、今日の東洋大学と日本の高等教育があるのです。

勝海舟さん
1823(文政6)年生まれ、1899(明治32)年没。江戸時代末期の武士(幕臣)であり、明治時代の政治家。山岡鉄舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる。新政府軍の西郷隆盛と幕府の勝海舟という2人の代表者によって、江戸城は無血開城され、日本の内乱を政治的に防ぎ、明治維新への流れを作った。
写真は66歳のとき。