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東洋大学のカタチ:創立者を知る 井上円了とは?

東洋大学のカタチ:創立者を知る 井上円了とは?

2016年6月1日更新

哲学教育の先駆者・井上円了、日本を変えた5つの情熱

井上円了

近代日本の礎を築いた賢人で、日本の哲学教育の先駆者として知られる井上円了。円了の考える「哲学」は特別なものではなく、すべての学問の「基礎」。西洋文化と邂逅し、価値観が一変した明治期、人間の指針となる「哲学」が求められていました。しかし、当時「哲学」という概念は西洋のもの。お寺に生まれ、西洋学を学んでいた円了は、東京大学で西洋哲学に没頭。その上で東洋文化を見つめ、「洋の東西を問わず、真理は哲学にあり」と確信したのです。哲学に西も東もない、西洋文化も日本文化も大切で、双方を探求することが日本の近代化につながるはずだ。そう考えた円了は29歳で「私立哲学館(現・東洋大学)」を創立しました。伝統を守りながら西洋文化を巧みに取り入れた日本の近代化には、円了の活躍があったのです。

1 諸学の基礎は哲学にあり

哲学=西洋のものだった時代、円了は数千年の歴史を持つ仏教を東洋の哲学として再評価し、西・東の両方から学ぶ必要性に気づきました。そして世界の哲学者の代表として東洋からは「孔子」「釈迦」、西洋からは「ソクラテス」「カント」を選出し、「四聖」として祭りました。

井上円了の依頼で描かれた「四聖像」。
井上円了の依頼で描かれた「四聖像」。

2 自分の目で世界を見に行こう

海外旅行が難しい時代、円了は3度の長期世界視察を経験しました。欧米をはじめ、南米、オーストラリアとワールドワイド。自身の目で見て感じた経験は、帰国後すぐに教育現場に持ち込みました。今でいうグローバルな視点で世界を見据えた教育を明治時代から行っていたのです。

円了の旅行先での経験を記した「政教日記」「西航日録」「南半球五万哩」。
円了の旅行先での経験を記した「政教日記」「西航日録」「南半球五万哩」。

3 庶民を救う妖怪博士

円了のユニークな学問の1つが「妖怪学」。摩訶不思議な現象を徹底的に分析し、虚言や偶然からなる「偽物の妖怪」を次々と暴きました。なかでも当時流行っていた「こっくりさん」を論理的に解明した逸話は有名。迷信に縛られていた庶民を救う円了流の「教育」でした。

「妖怪学講義」。妖怪や幽霊に関する多くの資料を集めていた。
「妖怪学講義」。妖怪や幽霊に関する多くの資料を集めていた。

4 天災、火災、人災…ピンチはチャンス!

円了の事業は苦難の連続。台風で完成直前の哲学館が倒壊したり、火災で全焼したり……円了は度重なる逆境を力に変えてきました。なかでも校舎倒壊で負債を抱えたピンチの円了が寄付を得るために始めたのが全国での講演。27年におよぶ偉大な活動となりました。

本郷区駒込蓬莱町(現・文京区向丘)の哲学館校舎。
本郷区駒込蓬莱町(現・文京区向丘)の哲学館校舎。

5 学ぶ喜びを。教育のパイオニア

「余資なく、優暇なき者」のため、円了は教育の門戸を開く活動に尽力しました。「全国巡講」の生涯講演数は5291回。民衆の近代化に多大な影響を与えました。そうした円了の精神は100年におよぶ「男女共学教育」へとつながっています。

昭和初期ごろの東洋大学の講義の様子。
昭和初期ごろの東洋大学の講義の様子。

「哲学」を学びの基礎に 井上円了哲学塾

幅広い年代・経験を持つ塾生が、講義やディスカッションを通じ、異なる価値観を学び伝え、自身の哲学を探求します。各自がリーダーの資質として不可欠な「自己の基軸=哲学」を備えた人間力に富む人財の育成を目指します。

井上円了哲学塾
井上円了哲学塾

円了の志を受け継ぐ 全国講師派遣事業

円了の大いなる社会教育への志を継承し、全国の人々の「生涯学習」支援を目的として始められた講師派遣事業。「生涯学習支援」「企業研修支援」の2つのプログラムから成り立ち、テーマも多彩です。「生涯学習支援」は講演料や交通費、宿泊費などを大学負担で、「企業研修支援」はリーズナブルな講師料で講師を派遣します。

晩年に築いた精神修養の聖地 哲学堂公園

東京都中野区にある哲学堂公園は、円了の考えを具現化した空間として1904(明治37)年に創設されました。「教育的、倫理的、哲学的精神修養」の公園として77カ所の探求の場が設けられ、円了の世界観が今でも息づいています。東西の哲学の代表者・四聖人(孔子・釈迦・ソクラテス・カント)が祭られた四聖堂、哲学の講話を開くための宇宙館などがあります。風致景観や学術的価値などが評価され、2009(平成21)年に東京都の名勝公園に指定されました。

六賢台
六賢台
哲理門
哲理門

井上円了の略年譜

西暦(和暦) 
1858(安政5)年越後国(新潟県)、真宗大谷派慈光寺の長男として誕生
1874(明治7)年新潟学校第一分校(旧長岡洋学校)に入学
1877(明治10)年京都・東本願寺の教師教校英学科に入学
1878(明治11)年東京大学予備門に入学
1881(明治14)年東京大学文学部哲学科に入学
1884(明治17)年「哲学会」を創立
1885(明治18)年東京大学文学部哲学科を卒業
1887(明治20)年「哲学書院」を設立
『哲学会雑誌』を創刊
私立哲学館(東洋大学の前身)を創立
1888(明治21)年第1回海外視察に出発(1889年6月帰国)
1889(明治22)年哲学館新校舎完成
1890(明治23)年哲学館専門科設立の基金募集のため全国巡講を開始
(1893年2月まで継続)
1893(明治26)年「妖怪研究会」を創立
1897(明治30)年哲学館、小石川区(現・文京区白山)に新校舎を設立
1899(明治32)年京北尋常中学校を設立、開校式を挙行
1900(明治33)年文部省から修身教科書調査委員を委嘱される
1901(明治34)年内閣から高等教育会議議員を委嘱される
1902(明治35)年第2回海外視察に出発(1903年7月帰国)
1904(明治37)年「専門学校令」による哲学館大学の学長に就任
哲学堂(現・哲学堂公園)開堂式を挙行
1906(明治39)年哲学館大学学長・京北中学校校長を辞任
財団法人「私立東洋大学」設立
1911(明治44)年第3回海外視察に出発(1912年1月帰国)
1919(大正8)年中国大連で講演中に倒れ逝去(享年61)
サイト井上円了について