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長崎県壱岐市

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原田酒造店看板・忠魂碑(長崎県壱岐市)

  設置場所

  • 忠魂碑 長崎県壱岐市郷ノ浦町 原田酒造店看板・忠魂碑(長崎県壱岐市)
  • 原田酒造の看板 長崎県壱岐市勝本町

内容

  • 忠魂碑 日露戦争戦没者慰霊のため建立された「忠魂碑」 原田酒造店看板・忠魂碑(長崎県壱岐市)
  • 原田酒造の看板 「蔦ノ寿醸造元」

円了巡講日誌より

  • 明治39年10月20日 晴れ。(中略)午後4時より更に馬車に駆り、香椎村字勝本港に移る。壱州第一の市街なり。宿所は能満寺にして、当寺斎藤盛応氏はもと哲学館出身者なり。
  • 21日(日曜) 曇り。(中略)午後開催す。
  • 22日 風雨。汽船、入港せず。
  • 23日 暴風雨。午後開会す。
  • 24日 暴風雨。終日船を待つも、入港せず。座臥の間、数首を得たり。
  • 風雨凄々孤島秋、漲点白浪躍巌頭、客船不倒日将暮、空守残樽臥海楼
    (この孤島の秋に風雨いよいよすさまじく、天にも届くような白浪は巌に当たって躍り上がる。客船はついに姿を見せずに日も暮れようとし、空しく残り少ない酒樽とともに海辺のたかどのに横臥する。)(中略)
  • 25日 快晴。未明、汽船入港す。速やかに旅装を整えて乗船し、対州を向かう。勝本開会に関して大いに尽力せられしものは、東光寺住職大久保文丈、金蔵寺住職亀井盛現、小学校山内久太郎、有志者原田卯八郎、長島隆次郎等の諸氏なり。風波のために数日間滞留し、諸氏の厚意をかたじけのうせるは深謝するところなり。

設置者(保管者)

  • 忠魂碑 祥雲寺五世住職らの発起で建立
  • 原田酒造の看板  原田酒造

 取材記録

明治39年10月1日~10月5日、および10月19日~25日に円了は巡講のため壱岐に滞在している。壱岐では、7か所17席の巡講を行った

壱岐には、円了の足跡が2つ残されている。
ひとつは、郷ノ浦町柳田地区にある忠魂碑。碑文は、円了の書によるものである。明治39年日露戦争戦没者慰霊のため建立された。

もうひとつは、港にイカ釣り船がひしめく島内北部の漁業の町、勝本の商店街にある原田酒造の看板である。この原田酒造の原田卯八郎氏は勝本での講演会開会に尽力された。
紙に書かれた円了の書が木の額に入れられた看板は店の入口の上部に掲げられている。
書は「蔦ノ寿醸造元」と書かれている。「蔦ノ寿」はここ原田酒造で製造していた清酒の銘柄であった。

すでに酒造はやめ、現在は麦焼酎販売を中心に酒屋のみ営業している。(ちなみに、壱岐は麦焼酎発祥の地として400年の歴史があり、平成7年には壱岐焼酎としてWTOによる地理的表示の産地に指定され、名実ともに世界のブランドとして高い評価を受けている。)(取材日2010年12月22日)

アクセス

空路で羽田から長崎空港経由で壱岐空港まで乗り換え時間を入れて約3時間40分
博多港からはフェリーで2時間ほどで着きます
壱岐空港からは空港連絡バス、壱岐交通の連絡バスで