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インド哲学科の沿革-哲学館から旧制大学まで

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 一般の大学が、社会に応じて法律や経済を教授したのに対して、諸学の基礎の学問を修得することこそ学問のヨーロッパ化からの独立であり、学問の自由をうたいあげるものであると主張して、井上円了が哲学館を創立したのは明治20(1889)年であった。これが今日の東洋大学であり、「諸学の基礎は哲学にあり」というゆるぎなき伝統も、こうした学問観に根ざしたものである。
 井上円了は、西洋の哲学とならんで、東洋の哲学の組織立てを目論みこれを成功させた。東洋哲学の中心的役割を担ったものは、儒教と仏教にあった。これを学制の上に、普通科(1年次生)、高等科(2・3年次生)の段階を設け、これに副科をおいて仏学と儒学と国学を講じた。印度哲学科の源はここに始まる。時の講師は村上専精、島地黙雷、古谷覚寿などである。さらに明治27年には宗教学部の中にあり、明治30年には仏教専修科を開設したが、明治32年には、哲学部のもとに位置して、日本哲学、中国哲学、印度哲学、西洋哲学が横一列に並んだのである。
 印度哲学の講座は、印度哲学綱要と仏教学、仏教史であり、仏教学には第1年度に倶舎論、因明学(仏教倫理学)、第2年度に唯識論、大乗起信論であり、第3年度には天台学、華厳学、梵語学である。講師には斎藤唯信、境野黄洋、姉崎正治などの講師であった。
 講師島地黙雷は天保9(1838)年の生まれ、哲学館開設当時は50歳であった。かれはすでに明治5年に洋行してヨーロッパを視察しており、また仏教徒として初めてキリストの聖地エルサレムを訪れている。彼の見識は当時の政府の高官をしのいでいた。また、彼は『三国仏教略史』三巻を織田得能とともに著わし、また『仏教各宗綱要』五巻をあらわしている。真宗の西本願寺派の出身であるが、学は八宗兼学であった。
 村上専精は嘉永4(1852)年の生まれ、哲学館開設当時は37歳である。彼は真宗大谷派の寺に生まれ、貧困の中に成長した。刻苦精励、村上家の養子となったが、ついに寺を出てもっぱら学業にいそしんだ。明治20年1月、東京曹洞宗大学の講師に招かれ、続いて哲学館の講師を依頼されたわけである。哲学館にあっては仏教学を講じるかたわら、専精は当時もっとも新鮮な学問を哲学館において、一学徒となって学んだのである。彼は明治23年には東本願寺派の古谷覚寿のあとをうけて東京大学の講師となった。その古谷はまた哲学館において仏教を講じている。そのころの学生には、後に大をなしたものが多い。チベットに潜入してチベット仏教を日本に伝えた河口慧海、彼の学友には村上専精、境野黄洋、安藤正純、高嶋米峰、鷲尾順敬などがいた。
 境野黄洋が母校に迎えられて講師となったのは明治32年であり、大正7年には学長に推されている。
 このような目まぐるしい学制の変更は、もちろん社会のニーズにこたえるものであったが、内容は一貫していた。社会に対応する最たるものは、中等教員免許の無試験の認可であった。これが明治35(1902)年のいわゆる哲学館事件によって認可取消となった.この悲運をバネとして、明治37年には、哲学館大学として専門学校令による大学部(五年制)と専門部(三年制)を開校し,この各部には第一科と第二科を設けた。第一科は漢文学修得、第二科は仏教学修得である。仏教学は印度哲学と称し、中国哲学、西洋哲学とならんで教授された。大学部も専門部も主要科目は印度哲学、倶舎、唯識、起信論、華厳、天台、三論、真言などでかわっていない。当時の講師は前田慧雲、斎藤唯信、境野黄洋、それに松本文三郎などであった。
 大正10年にいたり、大学部第一科、第二科を、印度哲学倫理学科と中国哲学東洋文学科とし、専門学部が倫理学教育学科、倫理学東洋文学科、文化学科、社会事業科として学科名が制定された。この当時の講師として、常盤大定、加藤精神、西義雄、坂本幸男、長井真琴、渡辺海旭などの名が見えている。さらにその後、矢吹慶輝、花山信勝、鷲尾順敬、小野玄妙、藤原猶雪、田中於菟弥など各碩学がつらなっている。
 科外講座として、すでに哲学館時代より、真宗講座、禅宗講座、真言宗講座、日蓮宗講座も開設しており、また大正3年には仏教の専門的な研究者の養成を目的として、「仏教専攻科」を設けている。
 昭和3年、大学令による東洋大学となったとき、これまでの印度哲学科を独立させて仏教学科を設置した。仏教学科の名称は、昭和54年、ふたたび印度哲学科と称されるまで、戦前、戦後を通じて呼称され、多くの宗門子弟の教育にあたったのである。
 昭和24年をもって、旧制大学令による東洋大学は、新制の東洋大学としてあらたな出発をした。

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