小倉擬百人一首

書名小倉擬百人一首(おぐらなぞらえひゃくにんいっしゅ)
装訂/写刊/数量/大きさ大判錦絵 刊 100枚揃  36~37.0×24~25.0cm
作者

歌川国芳(1797-1861)・歌川広重(1797-1858)・三代目歌川豊国(1786-1848)画,柳下亭種員(1807-1858)筆

刊年弘化3年(1846)頃刊 江戸伊場仙(伊場屋仙三郎)板
翻刻/影印/参考吉田幸一『古典聚英 浮世絵擬百人一首』(笠間書院 2002)

  小倉百人一首の和歌に、武者絵の国芳、名所絵の広重、役者絵の豊国の三人の絵を合わせて百枚を当世風に仕立てたもの。絵は国芳が51図、広重が35図、豊国が14図で合計100図揃。図の多くは芝居の題材より採られ、戯作者の種員による絵の解説が添えられる。

小倉擬1

1 天智天皇 秋の田のかりほの庵の笘をあらみわか衣手は露にぬれつゝ
御曹司牛若丸 牛若丸一年奥羽へ下り玉ふ頃三河国矢矧の長が家に止宿し娘浄瑠璃姫と糸竹を合曲深く契りをかはせしことは世の人能知る所なり 柳下亭種員筆記
一勇齋国芳画

 
小倉擬2

2 持統天皇 春すぎて夏きにけらし白妙の衣ほすてふあまのかぐ山
最明寺時頼 白妙 最明寺諸国を巡る折から佐野の浪宅に宿るに饗応べき手だてもなきゆゑ鉢木を切て炉に焚き赤心をあらはす依って後に鎌倉に召呼ばれて三ヶ庄を賜ひける
一勇齋国芳画

 
小倉擬33 柿本人麿 あし引の山どりの尾のしだりをのなかなかしよをひとりかもねん
加賀千代 加州松任の人にて其性秀才風雅にして俳道の名人なり生涯に名句多かる中にも夫にわかれし時に
起きてみつ寝てみつ蚊屋のひろさ哉 
一勇齋国芳画
 

小倉擬4

4 山辺赤人 田子のうらにうち出て見れば白妙のふじのたか根に雪はふりつゝ
湯嶋の宮居に遠からで紋瓦の梅鉢も由あり駒込の富士にいと近くて園に出せる暑中の雪も又縁ありといふべきのみ 柳下亭種員筆記
一勇齋国芳画

 
小倉擬5

5 猿丸大夫 奥山にもみぢふみわけなく鹿のこゑきくときぞ秋はかなしき

曽我箱王丸 箱王丸は母のはからひにて桑門させんと箱根山へ登せしに祐経代参に来り初て対面をなし 赤木造の短刀を引出物とす其時僅八才なるが心中に思ひけるは父の怨己成人するならば一万とのと心をあはせ怨を討べしと遂に下山なし兄弟ともに艱苦し後裾野にて本望を達し英名をとどろかす
一勇齋国芳画

 
nazorae006

6 中納言家持 鵲のわたせるはしにおく霜のしろきを見れば夜ぞふけにける

いばらきの化身・渡辺源二綱 源頼光の臣渡辺源二綱一条戻橋のほとりにて悪鬼の婦人に化したるに出会ひ 其正体を見あらはせしとかや  柳下亭種員筆記
広重画

 
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7 安倍仲麿 あまの原ふりさけみればかすがなるみかさの山に出し月かも

名古屋山三郎 江州高嶋佐々木の家臣父山左エ門を同藩不破伴左エ門に討れ浮浪の後患苦いふばかりなく 都嶋原上林の葛城太夫が貞節によりて朱雀野の堤にて敵を討しとなん 柳下亭種員筆記
一勇齋国芳画

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8 喜撰法師 わが庵はみやこのたつみしかぞすむよをうぢ山と人はいふなり

入道頼政 源三位頼政平家をほろぼさんと高倉宮に謀反を御すすめ奉小勢をもつて義兵をあげられしに 天運来らずつひに宇治の軍に利なくして平等院の扇の芝にて辞世を遺し英名をとどろかす実に和漢無双の豪傑なり
一勇齋国芳画

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9 小野小町 花の色はうつりにけりないたづらに我身よにふるながめせしまに

園部左衛門 園部薄雪が事跡きはめて定かならず或曰足利の代の人なりとか地主の花見に薄雪姫左エ門を垣間見て 恋衣ふかくも染一期に盛衰ありし事はうすゆき物語に見えたり 柳下亭種員筆記
広重画

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10 蝉丸 これやこの行もかへるもわかれてはしるもしらぬも逢坂の関

濡髪長五郎 浪速天満の社地の勧進相撲に放駒の長吉と立入なし両人とも力をあらそひしがつひに心とけ合これより兄弟の約をなし睦じくくらせしとかや 柳下亭種員筆記
一勇齋国芳画