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最初の女子学生 栗山津禰さん

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日本の私立大学で初めての女子学生が東洋大学に入学

東京朝日新聞,1921(大正10)年10月18日栗山津禰さんは1892(明治25)年、貧しい士族の五人姉妹の次女として山形県で生誕しました。高等女学校を卒業後、1914(大正3)年に教員を目指して上京。国語伝習所、二松学舎を経て、1916(大正5)年に東洋大学へ入学しました。当時、文部省は専門学校令に基づく東洋大学等を男子専門学校とみており、女子の大学入学を認めていませんでしたが、東洋大学の学長は「学問において性別は関係ない」という考えを持っていたため、栗山さんの入学を認めました。こうして東洋大学は私立で初めて男女共学を実現した高等教育機関となったのです。
東洋大学の国文学科へ入学した栗山さんについて、当時の新聞(婦女新聞1916(大正5)年5月19日)には、「小石川区原町の東洋大学に先月からうら若き1名の婦人が通学しています。婦人はどんな日でも欠席したことは無く授業時間15分前になると必ず門前に姿を表わし、大勢の中学生がわいわい騒ぎまわっている運動場の中央を横切って大学構内に入ります。その従容たる態度、学生たちは冷かすどころかいずれも尊敬の眼差しをもってその姿を見送るのであります。」と紹介されています。在学中の4年間は無遅刻・無欠席を貫き、その勤勉な態度が周囲から尊敬の念を集め、栗山さん自身「(自分が女性だからといって)大学で差別された経験はない」と残しています。
東京朝日新聞,
1921(大正10)年10月18日

卒業後は教師として活躍

日本の女子教育の先導的役割を果たす

東洋大学の国文学科を首席で卒業した栗山さんは、中等教員免許の検定試験(文検)に合格し、漢文科教師として東京府立第五中学校(現・東京都立小石川中等教育学校)に赴任。日本の教育史上初めて男子中学校の教壇に立つ女性教師として注目されました。そして、栗山さんは自身と同様に、文検を受験して教師をめざす女性のために「国語漢文講座」を開催。これが後に紫式部作品を読む「紫式部学会」設立へとつながり、晩年までその理事を務めました。
授業風景栗山さんの入学をきっかけに、東洋大学には女子の入学者が年々増加していきました。その中には、作家として活躍し、東洋大学の教授となった野溝七生子さん(1924年卒業)、女性民俗学者として多大な功績を残した瀬川清子さん(1925年卒業)、そして大学卒業後に教諭として京北中学校に赴任した花崎貞さん(1925年卒業)などの名前が知られています。
当時としては画期的な出来事であった栗山さんの入学、男女共学教育の実現から2016(平成28)年で100周年を迎えます。今日では女性が大学教育を受けられるのが当たり前の時代となりましたが、その背景には栗山さんのような先駆者たちの存在がありました。これからも東洋大学は次世代の“当たり前”を実現する大学として、性別だけでなく年齢や国籍、障がいの有無などを問わないダイバーシティある大学として、学びの門戸を広げていきます。

栗山津禰さん略歴

1892年山形県山形市に士族栗山判兵衛と清の次女として生まれる
1914年上京し、国語伝習所、二松学舎に学ぶ
1916年初の女子学生として東洋大学入学
1920年国文学科を首席で卒業
1922年~1930年府立第五中で最初の漢文科女性教師として活躍
1931年~1934年東洋大学支那哲学文学研究室勤務
1932年~紫式部学会の創設にかかわり、晩年まで理事

column


Episode.1 栗山津禰さん入学


栗山津禰さん私立大学初となる女子学生の受け入れ、女子教育開始
1916年入学 栗山 津禰さん


Episode.2 私立の総合大学初の女性学長就任


神田学長神田道子氏

第38代学長■2000(平成12)年9月-2003(平成15)年9月
お茶の水女子大学文教学部教育学科卒業。東京大学教育学部研究生、(財)労働科学研究所などを経て、1972(昭和47)年より、東洋大学学文学部教育学科教員、2000(平成12)年9月より大学と短期大学の両方の学長に就任。


Episode.3


在籍学生数上位10大学で、女子学生比率40.7%、女性学部長比率27.3%とも第1位(11学部のうち3学部)

※2015年5月1日現在における在籍学生(学部生)
 数値は大学ポートレートや大学Webサイトを参照。大学ポートレートは未更新の大学もあるため、実数は変動する可能性あり

図表