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東洋大学史エピソード集

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初の女子学生入学(大正5(1916)年)

東洋大学は、大正5(1916)年、専門学校令による大学の中で初めて女子の入学を許可しました。当時の新聞(婦女新聞大正5年5月19日)には、「小石川区原町の東洋大学に先月からうら若き1名の婦人が通学しています。婦人はどんな日でも欠席したことは無く授業時間15分前になると必ず門前に姿を表わし、大勢の中学生がわいわい騒ぎまわっている運動場の中央を横切って大学構内に入ります。その従容たる態度、学生たちは冷かすどころかいずれも尊敬の眼差しをもってその姿を見送るのであります。」と紹介されています。この女性は栗山津禰さん。国文学科に在籍し、のちに東京府立第5中学校の教壇に立ちました。男子中学校に女性教師が就任するのは、日本教育史上初めてのことでした。

白山文芸運動(大正7(1918)年)

大正7(1918)年、在学生によって「東洋大学文芸研究会」が創設され、のちに学外にも開放されました。公開講演会、文芸夏期講習会では、当時文壇・論壇の第一線で活躍していた、田山花袋・島崎藤村・谷崎潤一郎・有島武郎・和辻哲郎らを講師に迎えるなど、東洋大学文芸時代の到来という感がありました。そのほか『白山詩人』『白山文学』など、多くの文芸同人誌が刊行されています。現在も文京区向丘にある書店「南天堂書房」は、かつて二階に喫茶店「レバノン」、三階に出版部があり、林芙美子、草野心平、宇野千代、辻潤などの若い作家が出入りしていました。そこに東洋大学の学生も加わり、南天堂書房の二階「レバノン」は、詩人・作家を目指す若い人たちに大きな刺激を与える場所となっていました。

勝海舟の支援(明治22(1889)年)

明治22(1889)年、井上円了は政治家として著名な勝海舟の知遇を得ます。円了が妻(敬)と結婚した時の仲人が、海舟の娘婿夫妻であったという縁です。敬は明治13(1880)年、東京女子師範学校(現在 お茶の水女子大学)卒業、その後、教師になり明治19年(1886)円了と結婚しました。ある日、円了は海舟の赤坂の私邸へ呼び出されます。海舟67歳、円了31歳の時でした。「哲学館将来の目的」という趣意書を片手に、若くして哲学の必要性を力説する円了に感動した海舟は、寄付金や揮毫した書を渡すなど、円了を励まし支援しました。全国を巡回講演して大学と哲学堂建設の資金の手助けにすることをアドバイスしたのも勝海舟でした。

痕跡としての井上円了歌碑(明治23(1890)年)

井上円了は明治23(1890)年から大正8(1919)年までの、のべ27年間、全国各地を巡回し講演を行いました。講演の主なテーマは、3回にわたる世界旅行の視察談・妖怪・仏教などです。その際に人々から寄せられた寄付をもとに、東洋大学と哲学堂が建設されました。そして現在、円了が巡講したのち地元の方々により建てられた記念碑が下記の地に残されています。

宮崎県串間市・長崎県松浦市福島町・岐阜県益田群下呂町・東京都伊豆大島波浮の港・群馬県草津山光泉寺薬師堂・新潟県長岡市・秋田県男鹿市大龍寺。

この他にもまだ見つかっていない碑があると思います。情報をお寄せください。