日本の伝統文化である「歌会始」は、天皇陛下が主催する古式ゆかしい伝統行事の一つです。毎年、宮殿松の間で行われ、披講と呼ばれる独特な節回しで和歌を一首一首読み上げます。歌会始の起源は、鎌倉時代中期までさかのぼることができますが、今のような形式になったのは、西暦1500年頃と言われています。明治維新後は、これまで続いてきた多くの宮中行事がなくなりましたが、歌会始だけは継続し、明治2(1869)年1月に明治天皇によって初の会が行われました。歌会始はその後も改革を加えられながら、今日まで連綿と続けられています。明治以降と近代以前の歌会始のルールで最も大きな違いは、参加資格が変わったことです。室町から江戸時代の歌会始では、決められたメンバーである皇族や貴族の男性しか参加を許されませんでした。明治以降は、女性や一般の参加も認められるようになり、現在では、毎年一般の応募数は2〜3万と倍率が高く、歌人の目標になっています。このように明治以降の改革によって参加者の幅が広がり、行事の目的が皇室と国民の心を親しく結ぶものに変化していきました。皇室が開かれたという点においてはポジティブに捉えることができますが、その一方で否定的な考え方があることも事実です。明治期は、短歌革新運動によって「和歌」から「短歌」になり、文学の分野でも大きく動いた時期でした。短歌革新運動を推進してきた人たちは、「近代的な歌会始」というものに対して批判的な意見を持っています。歴史や文化をより深く学ぶためには、一つの側面からだけではなく、さまざまな立場から物事を捉えることが大切です。今に受け継がれる日本の伝統文化が、何をルーツにどのように変わっていったのかを、古い資料に即しながら学んでいきましょう。

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高柳 祐子准教授文学部 日本文学文化学科

  • 専門:日本中世文学、和歌文学
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