「金海奇観」は、仙台藩の儒者である大槻磐渓が、藩主慶邦公にペリー来航の様子を説明するために作成した絵巻です。この資料に基づいて、ペリー来航がどのようなものだったのか、歴史の追体験を分析・考察し、歴史学の原点を学んでいきます。
「金海奇観」には、嘉永7(1854)年、日米和親条約の締結交渉の場面がいくつか描かれています。9隻のアメリカ艦隊が並ぶ、横浜の海を俯瞰して描いた絵には、艦隊の名前や大砲の数、来航した日などが比較的正確に記されています。交渉の場として使われた横浜応接所近辺の絵では、アメリカのボートが海に向かって、ボート砲による祝砲を放ち、煙が立ち上る絵が描かれています。このボート砲は、蒸気船と並び、日本人に危機感を与えたと言われています。応接所内部の絵には、多くの海兵隊とともにペリーも描かれているほか、交渉を行った部屋やプライベートな会話をする部屋だけでなく、トイレや調理場なども記されています。そのほか、旗艦の詳細が描かれた艦隊図、上官、伍長などの身なりが描かれた人物図などもあります。この絵巻に正確に描かれているピストルの絵を見て、実物を作りあげてしまった藩があり、そのピストルで致命傷を負ったのが、桜田門外の変での井伊直弼でした。
砲術家でもあった大槻磐渓は蒸気機関車にも興味があり、この絵巻に蒸気機関車やレールの絵を描き、その寸法まで取ってあります。西洋文明に非常に関心を持っていた人物と言えるでしょう。

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岩下 哲典教授文学部 史学科

  • 専門:日本近世・近代史
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