宮沢賢治は童話作家として有名ですが、今回は農業指導者としての側面に焦点を当ててみます。東北地方の農業は、冷害のたびに数々の不作や凶作に苦しみました。農民の救済を考えた賢治は、「自分だけでなくすべての人と一緒に幸せになる」という信仰を基にして、盛岡高等農林学校で「農」の基本を学び、稗貫(ひえぬき)農学校(のちの花巻農学校)教諭に就任し、子どもたちに「農」を説き、羅須地人(らすちじん)協会を設立して農民を教育し、無料肥料相談で現場を支援しました。また、賢治が推奨した、冷害や病気に強く味も良い稲の「陸羽一三二号」という品種は、東北大冷害時に強さを発揮し、それ以降東北のメイン品種となりました。のちの「コシヒカリ」「あきたこまち」のもととなっている品種です。
無理がたたって倒れた賢治は、病床で『雨ニモマケズ』を書きます。そして作品を通じて、体が丈夫でなければ自分の望みは果たせないこと、本当の幸せとは、自分がその場所で作っていくものであるということを訴えました。
歴史、地理、経済、福祉など、いろいろな分野の勉強をしたうえで文学作品を読み、作者が生きた時代や思いを学んでほしいものです。

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高橋 直美教授福祉社会デザイン学部 子ども支援学科

  • 専門:日本近代文学(宮沢賢治)、昔話、妖怪
  • 掲載内容は、取材当時のものです