「羅生門」は芥川龍之介がとても大事にした作品です。文中の「こんな事を云った」「大体こんな意味の事を云った」に挟まれた一文は、初出の形では間接話法でしたが、後に直接話法に変わっています。ところが、老婆の言ったことがそのまま書かれてあるのに、「こんな事を云った」「大体こんな意味の事を云った」は残されているのです。それはなぜでしょうか。老婆が言ったことを直接聞いて受け止めているのは下人です。下人が、“自分にとって都合の良い解釈をした”というのも一つの考え方です。揺れ動く下人の感情を描くことで、龍之介は自分の心の弱さを映したのかもしれません。
また、「ふいに右の手を面皰(にきび)から離して」という部分の面皰とは、下人にとって都合の悪いもの、つまり「良心」です。面皰を気にしているうちは、まだ泥棒になるわけにはいかない、と人間性を失っていませんでした。人間が持つ最低限の良心を、ここではあえてグロテスクな面皰として表現しているのです。
「作者は下人を批判している」という角度で読んでみると、龍之介の言葉により親しみを持つことができるでしょう。

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山崎 甲一教授文学部 日本文学文化学科

  • 専門:芥川龍之介の言語空間―君看雙眼色、夏目漱石の言語空間
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