新しい概念やものごとといった“未知なるもの”を理解するためには、それらを指し示す言葉が必要になります。しかし、対応する言葉がうまく用意されているとは限りません。現代の日本では外国語をカタカナで書き記すのが一般的ですが、幕末から明治初期にかけてはカタカナに直してはいませんでした。「電気」や「銀行」は中国語からの直接借用、「文明」や「革命」は中国古典語の意味的転用、そして「哲学」や「郵便」は日本独自の漢語を生み出すといった具合に、新しい言葉に対応していました。
言葉の意味も時代によって変化しています。たとえば「発明」という言葉ですが、幕末から明治初期は現代の「発見」と「発明」という両方の意味を担っていました。それが明治20年代以降は使い分けられるようになります。さらに明治38年に発表された夏目漱石の『吾輩は猫である』では、再び「発明」を現在の「発見」の意味に用いた例が見られ、何らかの意図があって使われたと推測できます。このように、私たちが普段使っている日本語には、さまざまな背景や変遷があるのです。

pf_kimura.jpg

木村 一教授文学部 日本文学文化学科

  • 専門:日本語学

  • 掲載内容は、取材当時のものです