高校卒業後の進路をそろそろ考えなければ、という頃に起きた東日本大震災を機に、松田央紀さんは「食の安全性」について考え始めました。「食品安全監視員」という資格を知り、その取得に必要な知識を得るために食環境科学部食環境科学科で学ぶことを決意。専門的な知識を身につけていく一方で、もっと柔軟に考え、違う視点で捉えようと努力の日々を過ごしています。
頭を柔軟にすることを覚えた2年間
東日本大震災後の原発事故によって、放射線の影響を受けたとされる多くの食品が出荷を制限されているということを知りました。高校生だった私は、自分なりに「食の安全性」とは何かを考えるようになりました。安心して食べられる、より良い食品を消費者に提供するにはどうしたらいいのか。そんな思いを自分の進路に重ね合わせて先生に相談したところ、東洋大学に新設予定のフードサイエンス専攻を勧められたのです。健康な暮らしを支える「食」を科学の視点でとらえ、実践的な知識と技術を身につける学科でなら、この疑問を追究できるのではないかと思い、志望しました。
「食」についての学びというと、栄養や調理に関することを想像しがちでした。しかし、実際に授業を受けてみると、思いもしなかった着眼点からの講義に驚くことが少なくありません。食物の生育を左右するのは水や日光、酸素だろうと思っていましたが、土壌が大きく関係していたり、微生物が及ぼす影響がとても大きかったり。2年間の学びを通して、それまでの思い込みを捨てて少しずついろんな見方ができるようになってきた気がします。
自分に足りなかったものを知る
2年次の夏には、群馬県東吾妻町の料理コンテストに食環境科学部の学生として参加しました。地元食材を使って新しい名物料理を考案するというもので、夏休みの思い出づくりのつもりから、グループで応募したところ、私たちが考えた「トマトジュレそうめん」が群馬県食品安全局長賞を受賞。健康栄養学科の学生と一緒に取り組んだことで、一人では成し得なかった企画をつくりあげることができました。
東吾妻町は住民の塩分摂取量が高い地域だと言われています。それゆえに、コンテストの狙いは、町の特産品をPRするだけでなく、減塩メニューを求めているのだと一次選考の後に先生から聞き、自分たちの企画は、本来の趣旨を汲み取りきれないまま、固定概念で先走っていたことがわかりました。そこで最終選考までに、鶏ガラスープとトマト汁で調味し、麺つゆを使わないなどの減塩の工夫を重ねたことが、結果的に大成功。仲間と協力して審査用の大量調理も体験し、他の参加者や地域の方とも交流できたイベントでした。表面だけではなく、その真意までを読み取る力をつけなければ、という意識が高まった貴重な経験でした。
後輩に恥じない実績を残したい
大学入学前に、「食」に関わる職業について調べるなかで、私は港や空港の検疫所で輸入食品の監視指導などを行う「食品衛生監視員」に興味を持ちました。地元の新潟はロシアと貿易していますし、将来は故郷で働きたいと考えていたので、今は就職に役立つよう、この資格の取得を目指しています。公務員になるための勉強も始めたばかり。新潟の米や酒は有名ですが、ほかにも洋梨や枝豆などの特産品があることを、一人でも多く知ってもらいたくて、県の職員になろうと志しました。新学科の第一期生として、後輩たちに恥ずかしくないよう努力し、ここでしかできないような研究に取り組んで、就職につなげられたらと考えています。
松田 央紀さん食環境科学部 食環境科学科 フードサイエンス専攻2年
- 私立東京学館新潟高等学校出身
- ※掲載内容は、取材当時のものです