韓国で生まれ、日本と韓国を行き来して育った李 受慧さん。哲学を学ぶなら東洋大学がいいと勧められ、進学を決めた。入学前は「哲学って何をやる学問なの?という感じだった」というが、哲学科での学びを通して、ものの見方や世界観が大きく変わったと言う。李さんにとって哲学とは、どのようなものなのだろうか。

哲学とは「目的」ではなく「手段」である

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表現することや芸術に興味があった私は、漠然と「芸術には何かがある」という思いを抱えていました。でも、それが何であるかは自分でもよくわからずにいました。そんなとき、尊敬している人が「東洋大学で哲学を学んでみてはどうか」と勧めてくれたのです。

哲学科に入学してわかったことは、哲学とはそれ自体を学ぶものではないということです。物事にアプローチするための方法、つまり、哲学とは「目的」ではなく「手段」なのだと思います。あらゆることに「なぜ?」「どうして?」と問いを投げかけ、考えることで、からまった糸を解いていく。そんな感覚でしょうか。

私は幼い頃から、韓国と日本を行き来する生活をしてきました。そのなかで、いろいろなことを感じ取り、気づいてはいました。しかし、自分の感覚に確信がなく、常に「わからない」という感情がつきまといました。哲学というのは、わからないことに答えを与えてくれるものではありません。しかし、哲学科で学ぶようになってから、わからないことをわからないなりに分析し、考え、理解しようとする力がついたと思います。そのプロセスのなかで、自分の感情や傾向を具体化し、自己を見つめ直すことができるようになりました。また、深く内省する一方で、広い視野と客観的な視点で世界を見ることができるようにもなりました。

いろいろな人との出会い、新たな発見がある

哲学科は、自分がやりたいことが何でもできる自由な学科です。逆に言えば、大学でやることを自分で見つけなければなりません。私は、「自分が夢中になれるものは何だろう」「自分の心が強く動くのはどんな時だろう」と自分自身に問い続けた結果、芸術表現や写真、文章執筆などの創作活動に取り組んできました。活動自体も楽しくやりがいがありますが、創作活動を通して、自分はどうありたいかという願望や感情を突きつめていくところに、面白さを感じています。常に問い続けること、そして、その問いから逃げずに向き合い、考え続けること。これが、私が哲学科で学んだことです。

いろいろな人と出会えるのも、哲学科の魅力です。哲学は本当に幅広い学問なので、先生の専門分野も多彩ですし、学生もそれぞれの興味・関心に従っていろいろなことに取り組んでいます。人により哲学の持つ意味は異なるので、そのアプローチ法もただ「哲学的」という言葉だけでは語れません。先生や友人の思いもよらない考え方や視点に触れ、日々新たな発見ができるのも、哲学科で学ぶ醍醐味だと思います。

哲学こそ、社会につながる「生きた学び」

哲学は他の学問に比べると、社会や仕事とのつながりが見えにくいですが、私は哲学こそ、「生きた学び」だと思うのです。大切なのは、大学での学びをどのように社会につなげていくかです。その下地をつくるために、大学ではできるだけたくさんのことを経験し、たくさんの人と出会いたいと思い、積極的に行動するよう心がけてきました。たとえば、英語学習支援プログラムSCAT(現:LEAP)に参加して、いろんな学部の人と交流したり、先生にお願いして他学科の授業に参加させてもらったりもしました。

進路にはとても悩み、まだ答えは出ていないのですが、「自分は何がやりたいのだろうか、何に向いているのだろうか」と考え抜いた結果、発展途上国のボランティア活動に携わりたいと思うようになりました。哲学を通して身につけた問題解決力を生かし、発展途上国の開発問題に潜む課題を見いだし、その解決に努めていきたいと思っています。

李 受慧(リー・スウヘ)さん文学部 哲学科 4年

  • 韓国・漢栄外国語高等学校出身

  • 掲載内容は、取材当時のものです