ライフデザイン学部人間環境デザイン学科の生活環境デザインコースでは、生活者の視点に立ったデザインを学びます。このたび、生活環境デザイン演習で学生たちが取り組んだのは、難病患者のための椅子づくり。電動車椅子を使って移動している女性に実際に来てもらい、彼女が快適に座れるための椅子をグループごとにデザイン・制作しました。

「起きる」姿勢は難病患者のQOLを高める第一歩

朝霞キャンパスの実験工房では、グループごとに分かれた学生たちが作業台で椅子の制作に励んでいます。この日の午後には椅子のユーザーモデルである吉村枝里子さんがやって来るとあり、学生たちの作業にも熱が入ります。

今回の演習に協力してくださった吉村さんは、脊髄性筋萎縮症(SMA)という難病を患っています。SMAは脊髄の運動神経細胞がうまくはたらかないことから起こる病気で、体幹や手足の筋力が低下し、進行性の筋萎縮が見られます。筋萎縮性側索硬化症(ALS)や筋ジストロフィーの症状と似た病気です。日常生活には全介助が必要ですが、吉村さんは自立を目指して大学卒業後に一人暮らしをスタート。さらに起業して代表に就任するなど、積極的に社会と関わり、難病患者ならではの視点で情報を発信しています。この日は唯一動かせる親指の指先で電動車椅子を操作し、朝霞キャンパスまで足を運んでくれました。

ベッドの上で過ごす時間の長い人のQOL(Quality of Life:生活の質)を高めるためには、いかに体に負担がかからない状態で体を起こして過ごせるかが課題となります。体を起こすことはADL(日常生活動作)の確保につながるので、今回の椅子づくりは生活環境デザインを学ぶ学生にとって大きな挑戦です。

シーティング(座位保持)技術の基本はユーザーの身体に適合していること、身体の変形や症状に対応していること、姿勢変換ができること、使用目的に合い、介助しやすいデザインであること、そして自宅に置いても邪魔にならず、室内との違和感がないデザインであること。これらについてはすでに授業で学んでいますが、その知識を制作する椅子にどう反映させるか、学生たちは教室から工房へと場所を替えて取り組みます。

この演習を提案し、指導している繁成剛先生に話を聞きました。

「学生のうちは、ユーザーがどのような点をどれだけ困っているかといった想像力がなかなか働きません。今回の演習は、その中でアイデアを出し、実際のものとして形にするというトレーニングになります。ユーザーのニーズをとらえることができないと、単なるかっこいいだけの椅子になってしまいます。プロダクトデザインコースでは、不特定多数のユーザーにできるだけ使いやすく、魅力的な製品にする方法を学びますが、生活環境デザインコースでは、特定のユーザーを対象として、そのニーズを実現するために支援技術を応用する、『ユーザー・センタード・デザイン』を学ぶことになります」

吉村さんはすでに一度大学を訪れ、学生たちに日常生活の様子と必要な支援技術について講演をしてくださっています。その際、姿勢保持に関するニーズを吉村さんにインタビューし、シーティングスペシャリストが彼女の身体各部の採寸および採型を行いました。52名の学生たちは8つのグループにわかれ、吉村さんが快適に座れる椅子のデザインをグループでディスカッションして決めました。もとは全員が椅子を設計、図面と1/5モデルを提出していますが、それを持ち寄り、グループ内でアイデアを集積し、1つのデザインとしたのです。石膏型をもとにウレタンを削り、椅子のクッションを作ったため、クッションの形はどこも同じですが、椅子の見た目はグループごとに異なるはずです。

この日の授業は途中経過の仮合わせで、洋服でいえば仮縫いにあたるものです。吉村さんに感想を聞いたり、実際に座ってもらったりして必要な部分を修正し、翌週に完成させ、2週間後にグループごとに発表することになっています。

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いざ発表、さまざまなデザインの椅子が個性を競う

午後になり、吉村さんが来訪しました。準備のできたグループから順に前に出て、吉村さんに自己紹介と椅子のコンセプトを説明していきます。

最初のグループは全グループのうち唯一、強化段ボールを用いた椅子を提案し、2番目のグループはデザインに三角形を取り込んで個性を出しました。サイドに曲線を用いた柔らかなデザイン、椅子全体が蛇腹のように変形するもの、座椅子タイプ、足の角度を3段階にできる椅子など、クッション部分は同一でも、椅子のデザインはやはりグループごとの特色がはっきりと表れました。現時点で完成しているもの、まだ全体像が見えないものなど、進捗状況にも差が出ています。吉村さんはそれぞれの椅子に対して意見を述べ、いくつかの椅子には実際に座ってその座り心地を確認しました。

吉村さんが座り心地を確認し、意見を伝えたことで、学生たちは初めて気づくことが多くありました。たとえば、足が床につかない高さの椅子ならば、足を置く台がなければならないこと。上半身にリクライニング機能が付いていても、下半身がそれに連動していなければ姿勢に無理が生じること。椅子の両脇を覆い過ぎると介助者の動きを妨げること、などです。学生の一人は「椅子を使ってもらうユーザーのことばかり考えていて、介助者にまで頭が回っていませんでした。介助者の体の負担になるデザインでもだめですね」と話しました。また、障害のある人たちが必要としているものが何かを考え、デザインすることをライフワークとしている繁成先生であっても、「難しいところ」と言ったのは、専門家が取った石膏の型でも実際の吉村さんの体型とはズレがあり、完全にはフィットしなかったことでした。これは、過ごしやすい姿勢は日によっても微妙に異なることや、採型の際にできるだけいい姿勢にしようとやや矯正していたことなどが理由として考えられるとのことです。

グループの発表がすべて終わると、吉村さんは「楽しかったです」と笑顔を見せ、次のように言いました。

「だいたい、こんな感じのものができるのかな、と思っていた通りの椅子もあれば、椅子の形状がくねくね変わるという、こちらの想像を超えた新鮮なデザインもありました。また、仕上がりにはグループごとの差が出ていたように思います。2番目に発表したグループが、授業が終わるまでに修正した椅子を早速見せてくれたのには驚きました。どんな椅子に仕上げるかはグループごとのコンセプトで異なるでしょうが、私としては強度と個性、どちらも同じくらい重要視した椅子を目指してほしいと思います」

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「知っている」と「知らない」では発想に差が出る

このたびの演習はスケジュールが厳しいことも特徴で、学生たちには限られた時間で意見を1つにまとめ、それを実際の形にしていくことが求められました。木を用いた大がかりな演習は初めてとあって、用意されていた金具をどのように活用するか、ということにも苦労していたようです。それでも、この日までの1週間で形にするため、夜遅くまで残って作業をしていたり、日曜日も実験工房に来ていたりと、情熱を持って取り組んでいるグループも目立ちました。繁成先生は授業を振り返り、「変形する椅子などはこれまでになかった発想で、クッションをどう固定するかといった難問はありますが、このようなアイデアが出たことは、大きな成果です。デザインにもこだわりがあり、機能性も備えていました。その一方で、デザインに面白みがないと指摘されていたグループもありましたが、ユーザーの指摘によって『何とかしよう』という思いも強くなるので、むしろ良かったと思います。全体としては、どのグループも独自のアイデアを積極的に出していたところが良かったと思いますし、技術的な問題をどのように解決するかを頑張っていた点も評価できます」と語りました。

将来、障害者のためのものづくりに関わる学生が、この中にどれほどいるかはわかりません。しかし、障害のある方の一人ひとりに合わせて椅子を作ったり自助具を作ったりする世界がある、そのことを知っていることに意味があると繁成先生は言います。

「知っていると知らないでは、非常に大きな差があります。将来何らかの仕事に就いた時、障害のある方、高齢者、小さいお子さん、そういったいろいろな人がいるのだということを頭のどこかに置いておいてもらえれば、いざという時その人たちを意識したサービスやアイデアが出てくると思うのです。現在、日本の身体障害者は360万人以上、知的および精神に障害のある人を加えると740万人を超えています。それらの人たちもユーザーである、と想定して考えることを、この授業を通して身につけてほしいものです」

吉村さんが帰った後も、学生たちの作業は続きます。1週間後にはどのような進化をとげた椅子が完成するのか楽しみです。

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  • 掲載内容は、取材当時のものです