薪を背負って本を読む、勤勉な姿の像で知られる二宮金次郎。彼がのちに説いた「人は天・地・人の徳に報いるために、自ら徳行を実践しなければならない」という報徳思想を取り入れた学校の姿、地域との連携のあり方を、教育学科の須田将司准教授は探求する。はるか昔の教育のあり方を知ることで、今を生きる私たちが取るべき道が見えてくると確信する。

過去の事例に学ぶべきことは多い

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大学時代に仲間と教育談義をしていて、「こんなことは昔の先生がすでに考え、実践していたんじゃないか」と、ふと感じたことが、教育史を専門分野にするきっかけでした。もしかしたら、私たちは未熟な知恵をめぐらせているだけはないかと感じ、昔の教育というものをひも解いてみることにしたのです。

すると、現在の教育実践や教育上のさまざまな問題への対処などは、実は過去に同じような事例がいくつもあって、むしろ、それを参考にしたほうが良いのではないかと気づいたのです。今を生きながら思いつきで教育するには限界があります。それよりも、先人の到達点をたどり、それを受け継いでいったほうが、子どもたちのためにもいいのではないか。そういう意味でも、過去の事例を学ぶことには大きな意味があると感じました。それは教育の現場だけでなく、自分自身のあり方、人間としてのあり方を問う場面にも言えることなのです。

戦前教育の事実を確認したい

現在の研究テーマは、「昭和戦前期における報徳教育の展開」です。報徳教育とは、二宮尊徳(通称・金次郎)が晩年に説き広めた「報徳思想」を用いて生み出されたもので、神奈川県の南足柄市立福沢小学校がその実践校として知られていますが、私はそこにおける報徳教育の理論と実践を分析してきました。

実は、報徳教育がいつ始まって、どう広がったかはあまり知られていません。そのため、他にもあちこちの事例を比較しながら事実としておさえていこうと考えています。戦前の教育はあまり注目されていませんでしたが、実際に調べてみると、バリエーションがあったことがわかります。現在、世間で騒がれている教育現場の問題も、過去には多々あったことも、またわかります。「歴史は繰り返す」というのは、教育の現場でも言えることだと思います。

あこがれの「あの人」「あの先生」の生きざまに迫る

教育学を学ぶというのは、たとえば、自分のあこがれの人の背中を追いかけ、その生きざまに迫るようなものです。「どうしてあの先生はあんなふうに自分たちのことを見てくれて、そのひと言が胸に届いたのかな」と感じる、その教師の技や教え方の妙が、教育学科の授業科目を通じてわかってくるはずです。教育学とは、人間そのものが何であるかを追究する学問でもあり、学生たちもこれを学ぶうちに、粘り強く生きていける人になるのではないかと思います。

その一つの方法として、私は教育史にたどり着いたわけですが、探れば探るほど、今の教育のあり方や学校のあり方が当たり前だとは全然思えなくなるのです。教育はこれからいくらでも変えていけるものなんだ、と先人たちの思いや行動に触れるたびに強く感じます。

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須田将司准教授文学部 教育学科

  • 専門:教育史

  • 掲載内容は、取材当時のものです