「開けてはいけないお土産とは、何を意味するのでしょう」。河本英夫教授は浦島太郎の昔話を例に、学生に哲学を説く。その姿は、全国を巡回して民衆にわかりやすく学問を説いた、東洋大学の創始者、井上円了の姿に重なる。東洋大学の原点であり教育の基盤となっている哲学とは、一体どのような学問なのだろうか。

カメはなぜ、ウサギを起こさなかったのか

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ウサギとカメの話をしましょう。「能力や素質が優れていなくても、コツコツと努力をすれば報われる」「能力がある人も怠けていてはいけない」という教訓は、表面的なものです。カメは、寝ているウサギの横を通り過ぎます。カメはなぜ、ウサギを起こさなかったのでしょうか。ウサギとカメでは、どう考えても身体能力に差があります。常識的に考えて、まともな勝負はできません。カメは、明らかに負ける勝負に参加していたのです。なぜでしょうか。実際に、すぐにウサギの姿は見えなくなり、カメは一人で歩き続けます。この時点で、カメはもはやウサギとは競争していません。そう、自分との戦いなのです。しかし、ゴールしたとき、まわりはカメの勝利を褒めたたえます。このとき、自分のためのレースをしてきたカメは、違和感を感じたのではないでしょうか。みなさんは、どう思いますか。

このような身近な物語でさえ、見方を変えるとこんなにもたくさんの「問い」が生まれます。大切なのは、「どこに問いの焦点をしぼるか」ということなのです。哲学とは、「問い」を持ち続けることです。問いへの答えは一つではありませんし、答えがない問いも無数にあります。問いとは、絶えることなく永遠に続くものです。「哲学とは何か」というのも、また一つの「問い」なのです。

哲学は、人が生きていくうえで必要なもの

「諸学の基礎は哲学にあり」というのは、東洋大学の創立者、井上円了の言葉であり、本学の建学理念の一つにもなっています。この言葉どおり、哲学はどの領域の学問においても成立するものです。哲学とは、特定の知識を指すものではなく、役に立つ、立たないという次元で語れるものではありません。「世界をどうとらえるか」という認識と行為の問題であり、実生活にどう役立っているかは明確ではありません。ただし、間違いなく、哲学は誰にとっても生きていくうえで必要なものであり、人生において何らかのかたちで経験を広げていくものなのです。

例を挙げて考えてみましょう。関節の動きが悪くなると、つまり、関節の可動域が狭くなると、体がうまく動かなくなります。哲学はまさに、経験における可動域なのです。哲学が欠けると、人間の思考を含む経験の幅は狭くなってしまいます。物事を多面的にとらえたり、思考を深めたりすることができなくなってしまうのです。

物語から精神病理学まで、すべてに通じる

哲学にもさまざまな分野があり、私は「システム論」を専門としています。たとえば、透明できれいな湖が汚染され、あらゆる手段を使ってこれを元の状態に戻すとしましょう。汚染のプロセスと浄化のプロセスは、単純な巻き戻しではありません。病気の治癒も、同様です。また、「北京で蝶が飛んだ」という事象と「フロリダでハリケーンが起きた」という事象の間には、何らかの関係があるかもしれません。システム論では、事象同士の関係性や影響、変化のプロセスなどを扱います。難しく感じるかもしれませんが、非常に面白い分野です。

一方、私が担当する「現代哲学演習」では、19世紀を代表する画家、ゴッホを例に、病跡学を扱っています。病跡学とは精神病理学の一つで、芸術家や思想家、科学者など、歴史的に傑出した人物の生涯や業績を、精神医学や心理学の観点から分析する学問です。一見、哲学とは別のジャンルのように感じられるかもしれませんが、精神領域を扱う学問と哲学は密接に関係しています。

このように、哲学とは、まさに諸学に通じるものであり、哲学科の授業は非常に幅広いものになっています。その根底にあるのは、「問い」を持ち続けるということ。みなさんも、身のまわりにある物事に問いを見出し、その問いについて自分の頭で考えてみてください。

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河本英夫教授文学部 哲学科

  • 専門:システム論、科学論

  • 掲載内容は、取材当時のものです