文学を学ぶとは、ただ作品を読み、感動することではない。作品の書かれた時代背景を探り、作品から浮かび上がる真実を探り当てる。そのための「問い」を見出し、自分なりの解釈を語り合う。そうした面白さがある学びだ。日本文学文化学科の山本亮介准教授は、学生と共に作品について考え、語り合いながら「問い」を積み重ねている。

実験的な小説作品に導かれた文学の世界

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中学、高校の頃から小説が好きで、特に安部公房などの実験的な作品を読んでいました。どうしたら、世界がそのように見えるのか。なぜ言葉は、そうした世界を現実のものとできるのか。「小説」というジャンルに知的好奇心を刺激された私は、大学の文学部へ進学して日本の近現代文学について学ぶようになりました。その頃、友人の家の書棚にあった文学全集の中から、何とはなしに横光利一の作品集を手に取り、その技巧的な作風に衝撃を受けたのを今でも覚えています。実験的な小説は読み慣れていたものの、新感覚派とされる横光利一の作品にはぎこちない文章がつづられていて、何だか読みづらいのです。それは未完成であり、まるで試作品を作っているかのようでした。これまで読んできた他の小説とは違った読み方をしなければ、本当の面白さは味わえないのではないかと感じ、さらに大学院で研究を深めました。

現在、私が専門としているのは、小説や批評作品を中心とした「日本の近現代文学」です。ほかにも、日本の文学作品の海外翻訳、文学表現と音楽の関係などについても研究を広げています。

「問い」を見つけることが重要

文学を学ぶということは、作品の理解を通じて、「現実世界をどのように見るか」「そこから見えてくる真実とは何か」を探っていくことです。文学といってもその幅は広く、学ぶ対象はたくさんあります。私が専門とする近現代文学でも、夏目漱石や森鴎外から現代の作家まで、作品はさまざまです。学びの軸となるのは、作品が作られた時代背景を学ぶことと、作品の読み方を学ぶことです。そこでは単に作品を好き嫌いで語るのではなく、作品について「思わず人と語り合いたくなるような解釈の方法」を見出していきます。

そのためにはまず、どのように表現が成り立っているのかという作品の「しくみ」を知らなければなりません。そして、文学のことばの「読み方」を身につけなければなりません。さらには作品と向き合い、「問い」を見つける力が求められます。文学を学ぶには、この「問い」をいかに見つけるかということが重要です。「問い」を見つけることができたら、それは答えを見つけたも同然。初めは素朴な問いでも構いません。たとえば、「主人公がこのように発言したのは何故だろう」でいいのです。それが、学びを深めるうちに、「主人公のそのような発言は、当時の社会でどのように受け止められたのだろう」というように、文学の世界から他の世界へと「問い」を広げることができるようになっていくのです。

文学とは社会に通じる学び

私の授業、特に少人数を対象とする演習では、学生に一人で考えさせるインプットの時間と、学生同士で話し合い発表するアウトプットの時間を大切にしています。自分の解釈を文章にまとめ、人前で発表し、他の人の解釈の方法を聞いて、さらに違った観点から作品を見つめ直す。そうして発見や刺激を受けながら作品理解が深まっていきます。インプットとアウトプットはどちらかに偏ってはなりません。二つの時間がバランス良く両立したときに初めて、研究欲がわいてくるものです。

このようにして文学を学ぶことによって、私たちは多様で柔軟な物の見方ができるようになります。自分の考えを人に伝える力も身につきます。本が1冊あれば、日本人同士はもちろん、異文化の方とも作品を共有し、意見を交換し合うこともできるのです。

文学は社会に直結する実学ではないため、文学を学んだことが社会に出たときにどのように役立つのかと疑問を抱く人もいるかもしれません。しかし、文学を通じて身につく論理的、批判的な思考力、そして多角的な視点は、今まさに社会で求められている力そのものなのです。

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山本亮介准教授文学部 日本文学文化学科

  • 専門:近現代文学・文学理論

  • 掲載内容は、取材当時のものです