修道院が海に浮かんでいるように見える、幻想的なモン・サン・ミシェル。小学生の時にテレビでそれを見た経済学部国際経済学科の松田恵里沙さんは心を奪われ、将来はフランスで暮らそうと決意します。そのためには何をすべきか計画を立て、コツコツと努力を積み重ねた結果、フランスのストラスブール大学への留学を果たしました。留学生活で松田さんが得たものは、語学力だけではありません。海外で暮らしたことで日本の良さに改めて気づき、それを世界に発信したいと思うようになったのです。

幼い頃から抱いていた「フランスで暮らす」という強い思い

小学生の時にテレビでモン・サン・ミシェルを見て、「この世にあんなに美しい場所があるのか」と感激し、その瞬間からフランスに魅せられました。その後もフランスへの思いは強まり、「いつかフランスで暮らすんだ」という決意も、小学生の時点で抱いていました。フランスで暮らすためには現地での仕事が必要で、仕事をするにはフランス語力が必要で、フランス語を学ぶためには留学する必要があり、留学するためには一定の成績が必要で…。つまり、フランスで暮らすという夢を叶えるためには、中学、高校、大学といつでも勉強を頑張り、それなりの成績を維持していなければならないということです。ですから、日々の勉強が大変だと思うことがあっても、それがフランスへの道につながっていると信じ、常に努力し続けてきました。

大学に入ると、いよいよ交換留学に向けての準備を始めました。これまでずっと勉強したかったフランス語も、ようやく学び始めました。本当はもっと早くから始めたかったのですが、中学や高校の授業にフランス語はありません。大学の成績に直結しないフランス語の勉強に時間を割くなら、今は大学の成績を上げるための勉強をするべきだと考えていたのです。また、大学の国際センターには頻繁に足を運び、フランスの留学先や奨学金に関する情報をチェックし、常に留学へのモチベーションを保つようにしていました。

2年生の夏に書類選考、そして11月には面接がありました。この面接は、人生でこれほど緊張したことはないというほど緊張しました。これで小学生の頃から胸に抱いてきたフランスへの思いが実現するか決まると思うと、緊張しすぎて体は震え、涙まで出てしまったほどです。それでも晴れて合格することができ、奨学金も交換留学生とJASSO(日本学生支援機構)の両方を受けることができました。

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最悪の10日間を乗り越え、留学生活をリスタート

小学生の頃から憧れていたフランスでの生活ですが、実は最初の10日間が留学生活の全期間を通じて最悪の日々でした。まず、寮の部屋が想像を絶する汚さだったのです。窓枠には蜘蛛の巣が張り巡らされ、そこに何匹もの虫が引っかかっていて…しかも見知らぬ人にあとを付けられるという出来事もあり、私がこの寮に住んでいることがその不審者にわかってしまいました。そこで寮を出て、スコットランド人2人とアメリカ人1人のルームメイトがいるアパートへ引っ越しました。

とはいえ、転居がスムーズに進んだわけではありません。別の寮に引っ越すつもりで何軒も問い合わせたのですが、どこも「私的な理由で寮は変えられない」と受け入れてもらえなかったのです。ストラスブールに来てまだ数日しか経っていないのに日本に帰るわけにはいかないという思いと、先の見えない不安で、心が折れそうでした。Wi-Fiがつながるショッピングセンターまで行って母に電話し、状況を説明しているうちに涙が止まらなくなりました。すれ違った幼い男の子が大泣きしている私にびっくりして、立ち止まって見ていたほどです(笑)。引っ越しできてからはようやく気持ちが落ち着き、改めて留学生活のスタートを切ることができました。

現地での生活は、平日は起床後、朝食と家事、そして授業の予習などを済ませてから大学へ向かいます。授業はあえて多く履修せず、比較的ゆとりのあるスケジュールを組みました。私はもともと何を学ぶのにも人より時間がかかるタイプなので、あまり欲張らず、少ないコマ数に絞ってとことん学ぼうと思ったからです。授業が終わると友人とお茶をしたり夕食の買い物をしたりして、19時には帰宅。共同キッチンで自炊して夕食を取ってからは復習と宿題に取りかかり、そして日本の家族や友人とスカイプで話してから就寝という流れでした。休日はフランスの国内外に出かけ、陸続きのヨーロッパならではの気軽な旅を楽しみました。

現地では日本語、英語、フランス語を書いたオリジナルの単語帳を作り、それを活用していました。また、大学1年生の頃からやっているのですが、市販の参考書をより自分用にカスタマイズするという形のノートも作っていました。

授業で印象深く残っているのは、「何を話してもいい」というテーマのグループワークです。ペアを作って自由なテーマで発表することになり、私は中国人の女性と対話形式でバカンスの話をしました。ペアを組んだ最初の頃は、私には「海外では自分の意見をどんどん積極的に言ったほうがいい」という思い込みがあったので、彼女との話し合いでもかなり強めに主張していました。すると次第に雰囲気が悪くなり、時には険悪な空気になってしまうこともありました。そこでようやく、大事なのは自分の意見を持つことであり、それを強く主張するというのはまた別の話なのだということに気づいたのです。ならば日本にいる時と同じでいいのではと、伝え方を変え、かつ相手の話も丁寧に聞くようにしたところ、彼女とはプライベートでも共に時間を過ごすほど親しい友人になれました。

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フランスで暮らしたことで生まれた日本への思い

留学生活は慣れてきた3カ月頃が落ち込みやすいと聞きますが、私もそうでした。生まれて初めての一人暮らし、拙い語学力、やりたいこととやるべきことがごちゃごちゃになって混乱するなど、一気に負の要素が噴き出した感じでした。誰にも会いたくない、何もしたくないという暗い気持ちだったのですが、12月に入って町中がクリスマス一色の華やかな雰囲気になったことで、次第に楽しい気持ちを取り戻すことができました。ただ、大好きな家族と離れて暮らしているというホームシックとは、フランスに滞在中ずっと付き合っていた気がします。

留学したことで気づいたことはいろいろありますが、なかでも強く感じたのは日本の良さです。清潔な部屋、時間通りに運行する電車、治安の良さ…今まで当たり前だと思っていたことは、当たり前ではなかったのだと知りました。また、フランスで「日本人です」と言うと、好意的な人が多かったのも印象的でした。私の中の「日本人でよかった」という思いと「日本が好き」という思い、どちらも留学生活を経て生まれたものです。そのため、フランスで仕事をして生活したいという思いは今もあるものの、それ以上に、日本の良さを発信するような仕事をしたいと考えるようになりました。フランスで暮らしたことで日本の技術の高さも改めて実感したので、それを世界にさらにPRしたいと考え、現在はIT関連の企業を中心に就職活動中です。

大学に入ったら留学したいという人は、大学に入る前から努力が必要です。私も中学や高校の時からフランス語を学びたかったものの、それをこらえて大学の勉強に専念することで、成績という結果を出すようにしていました。しかし、もしも残念ながら留学が叶わなかったとしても、それまでの努力は決して無駄になりません。自分の実となり、必ず別の場所で役立ってくれると私は信じています。

松田 恵里沙さん経済学部 国際経済学科 4年

  • 所属ゼミナール:道重一郎ゼミナール
  • 私立桜美林高等学校出身
  • 留学先:フランス ストラスブール大学

  • 掲載内容は、取材当時のものです