月別アーカイブ: 2016年3月

この授業では、世界各国の伝統的な遊びを英語で教え合うことを試みます。この授業で一番大切なことは「アクティブラーニング」です。これは、学生たちが主体的に参加し、仲間と深く考えながら課題を解決する力を養うことを目的とした学習方法です。ゲームの名前から始まり、どの国のゲームで、どんな場所で、何人で遊び、どのような道具が必要か、そしてルールまでを英語で説明します。この授業によって、学生たちは「ゲーム自体がさほど難しくなくても、それを英語で説明するのは難しい」ということに気が付きます。ゲームについてまったく知らないゲームのプレーヤーに、そもそも日本語で説明することも難しいのに、ましてや英語でとなると、さらに難易度が上がります。しかし、こうしたシンプルなゲームが、英語を使って活動をする良い練習になるのです。
「なぜ英語で学ぶ」のか、疑問に思う学生もいるかもしれません。“Let’s find out why we study,then we study.” その理由を探すことこそ、学ぶことなのです。

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ニコラス ランバート教授ライフデザイン学部 健康スポーツ学科

  • 専門:English for Health and Sport 、Language and Culture

文学研究は、18世紀後半のヨーロッパで提唱されました。当時は近代国家が形成され、自国の独自性・優位性を注視するようになった結果、「各国ごとの文学史をもとに文学を研究する」という考え方が広まっていきました。その結果、分類に困る作品が出たり、外国との関係を見落としやすくなったりといった問題点が生まれました。
それに対して出てきた方法論が比較文学です。比較文学は「国や文化圏、原語の違いを越えて文学を研究する(クロス・エリア)」「文学という枠にとらわれずジャンルを越えて研究する(クロス・ジャンル)」「ほかの学問領域との関係性に目を向ける(インターディシプリン)」の3つに分けられます。ですから、日本と日本以外の国の文学作品を2つ以上比べて違いや共通点を指摘することは、比較文学の一部にすぎません。比較文学を理解するためのキーワードは「比較」ではなく、「越境」、「境界」となります。授業では比較文学研究の事例として、『シートン動物記』の作者として知られる“写実的動物物語作家” アーネスト・トンプソン・シートンを取り上げます。

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信岡 朝子准教授文学部 日本文学文化学科

  • 専門:比較文学文化

高校時代から興味を持っていた“環境”と“微生物”を学べる2つのコースがあるため、東洋大学に入学したという生命科学部応用生物科学科の武井篤さん。当初は「普通にキャンパスライフを送っていればいい」と思っていましたが、海外留学に参加し、たくさんの刺激を受けて「いろいろなことにチャレンジしよう」と意識が変わったそうです。それからは学会での学生発表に挑戦したり、卒業研究として冷蔵室での実験を重ねたりするなど、たくさんのチャレンジを試みています。

基礎実験が多い2年間で基礎力が身に付く

高校時代に野球部全員で校舎の周囲を掃除していた時、自分たちが出したゴミを目の当たりにして「環境は人間によって汚されている」と感じました。それが「環境」に興味を持つきっかけでした。その後「微生物を利用して環境を改善させたい」という気持ちが芽生え、“環境”と“微生物”の2つのコースがあるため、学びたいことをしっかり学べると思い、東洋大学の応用生物科学科の“微生物利用コース”を選びました。入学後は1、2年生の2年間は毎日びっしりと授業があり忙しい毎日です。基礎的なことを学ぶ授業や実験が多く、基礎力がしっかり身に付いて良かったと思います。

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海外留学で得た「チャレンジする」ことの重要性

2年生の春休みには、板倉キャンパス主催のカナダ・ビクトリア州での短期語学留学に参加しました。小学生の頃から英語を習っていて、中学・高校でも6年間英語を学んでいますが「英語を長い期間、学んでいるのに、なぜ流暢に話せないんだろう」とずっと考えていました。そこで、大学在学中に留学のチャンスがあったら、ぜひ行ってみたいという思いがあったのです。現地の大学で履修した授業は単位として認定されることも魅力でした。

わずか1カ月の留学体験ながらも、英語力のレベルアップにつながったことはもちろんですが、何より変わったのは自分の意識です。「いろいろなことに積極的にチャレンジしよう」と考えるようになりました。振り返ってみるとそれまでは、「“普通に”大学の授業をこなして、“普通に”キャンパスライフを楽しんでいればいい」と思っていましたから。

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学会での学生発表にも挑戦し、国家試験にも合格

3年生の夏からは、下水や産業廃水の処理技術研究を行う角野立夫先生の環境工学研究室に所属しました。下水処理場の活性汚泥法の装置を企画したという角野先生の実績に魅力を感じて入室を希望したのです。また、環境工学研究室は学部生でも学会に参加できると聞いていたこともあり「在学中に学会を経験し、学生発表をしたい」と思いました。

そして、ついに学会発表の機会を得て、学生賞を受賞することができました。浄水チームの実績を1つ残すことができ、嬉しく思います。ただ、他大学の先生からの質問に答えられない部分もあり「まだまだ知識が足りない。勉強してきたつもりだったけど悔しい」と、発表後にメンバーで話し合いました。勉強不足を身に沁みて実感するという経験ができたのも、学会発表を経験したからこそ。今後はこの経験を生かして、さらに知識を深めていきたいと思います。

現在は自分の研究テーマである「担体投入型BAC処理での低温硝化処理性能」について冷蔵室で実験を重ね、卒業論文としてまとめています。また、国家試験にも挑戦し、公害防止管理者水質第4種を取得することができました。環境工学研究室は代々、水処理関連企業への就職に強く、私も希望していた浄化槽メーカーから内定をいただくことができました。就職後は営業として努力を重ね、“技術力を持った営業担当”になることを目指していきます。

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武井 篤さん生命科学部 応用生物科学科 4年

  • 内定先:株式会社ダイキアクシス
  • 所属ゼミナール:環境工学研究室
  • 出身校:群馬県立前橋東高等学校

「ものづくり」が好きで、その興味を将来の仕事に生かしたいと望んでいた理工学部機械工学科の三原翼さん。入学前から「有意義な大学生活を送りたい」と思っていたそうですが、気が付くと「単位を取るためだけに勉強していた」という状態に。そうした三原さんの意識を変えたのが、大学主催の海外研修でした。まずは生産管理の仕事からスタートし、将来は航空機や人工知能、ロボットの開発にも携わってみたいという三原さんの「ものづくり」の夢は、4年間でさらに大きく広がりました。

アルバイトやサークルに夢中な学生生活

東洋大学に入学する前は「機械工学科で自分がどうがんばるか」「どう有意義な学生生活を送るか」が自分の将来を開いていくことになると考えていました。しかし、入学後は特に目標も見出せないまま日々を過ごしているうちに、「単位を取る」こと自体が勉強の目的になっていたように思います。

また、大学生になったら、いろいろなアルバイトをしたいと思っていたので、毎年アルバイトの職種を変えて、興味のあることを3種類経験してみようと考えました。1年生のときは「料理をやってみたい」と、レストランのキッチンでアルバイトをしました。2年生では自動車やメカニックの知識を得たくて、ガソリンスタンドで働き、3年次は地理に詳しくなりたいと宅配寿司のデリバリーをしてみました。2年生まではテニスサークルにも所属し、アルバイトやサークルに夢中になる“楽しい”学生生活を送っていました。

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意識を変えたきっかけは海外研修

そんな自分の意識が変わったのは、3年生の春休みに、2週間の海外研修に参加したことがきっかけでした。研修先は、アメリカ・ニューヨーク州のプレザントヒル近郊にあるペース大学。それまで身に付けてきた英語力が「現地でどれだけ通用するのだろうか」という興味もありましたし、これからグローバル社会で活躍するためには、英語をスキルとしてではなくツールとして使いこなす必要があると思っていました。そこで、海外研修に参加することを決めたのです。

ところが、海外研修に参加したことで自分の意識は大きく変わります。「将来、本当に自分は何がしたいのだろうか」「将来やりたいことに向けて、今、自分に足りないものは何なのか」「今後、自分はどのように生きていきたいのか」などを深く考えるきっかけになったのです。ペース大学では、授業が単に英語力のスキルアップをする場ではなく、“自分で考える”場として重点が置かれていました。振り返ると、それまでの自分は、しっかりと自ら考えて発言し、自発的に発言するということが足りなかったように思います。

また、視界に入るもの全てが新鮮で、刺激の多い毎日でした。海外に出るまでは漠然と「国内でものづくりをしていく」というイメージを持っていたのですが、「世界には、自分の知らない物事が無数にある」ことに気付いたのです。それからは世界のことをよく知る努力をして、知り得た情報をいかに自分の将来の“ものづくり”に生かし、社会や世界に還元していくか、と考えるようになりました。

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オランダでインターンシップを経験

4年生の9月には、大学での選考を経て、半導体製造装置メーカーのオランダ本社で約2週間、インターンシップを経験しました。世界60カ国以上の国籍の社員が集うグローバル企業でした。平日はメンターの方に付いてミーティングに参加し、半導体装置を作っているクリーンルームを見学しました。また、各部門による業務内容やリーダーシップについてなどのプレゼンテーションも受けました。気になることがあればフランクにどんどん質問することもでき、楽しくもためになる時間を過ごし、大いに刺激を受けました。社員からの提案も内容が良ければ、即採用され、進行するという場面を目の当たりにし、とにかく仕事のスピードの速さには驚くばかりでした。

今後はまず、生産技術の仕事に携わり、専門的な知識や技術を磨いていきたいと思います。そしていずれは、マーケティングやリスクマネジメントなどの知識も吸収し、世の中でまだ見つけられていないニッチなニーズを掘り起こして、それらの情報をどんどん発信し続けていくことのできる存在になりたいです。

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三原 翼さん理工学部 機械工学科 4年

  • 内定先:グンゼ株式会社
  • 所属ゼミナール:ロボット工学研究室
  • 出身校:私立成立学園高等学校

小学生の頃から「客室乗務員になりたい」という夢を持っていた、社会学部社会文化システム学科の穀山いづみさん。大学での4年間の努力のかいがあって、見事に全日本空輸株式会社(ANA)の内定を得て、「夢をかなえることができた」と言います。“全ては客室乗務員への夢をかなえるために”必要だと思った学びに対しては、積極的にチャレンジしてきた学生生活でした。

「世界中のことを知りたい」と社会学部へ

「客室乗務員になりたい」と憧れを抱いたのは、小学校2年生の時です。ANAに、子供の一人旅をサポートする「ジュニアパイロット」(現:キッズらくのりサービス)というサービスがあるのですが、私はそのサービスを利用し、親戚の家へ行くために一人で飛行機に乗りました。その時の客室乗務員さんが優しくしてくださって、感激したのです。客室乗務員という仕事への憧れがわき上がり、その客室乗務員さんに「私、客室乗務員になります!」と、宣言したほどでした。

その宣言からずっと夢は変わらず、「客室乗務員になるため」にいろいろな学びを選択してきました。また、小学生の頃から「客室乗務員になるには英語が必須」だと思っていたため、英検対策などを行ってきました。高校を選ぶ際も、「英語に注力している高校かどうか」を重視していましたね。

東洋大学の社会学部に入学した理由は、社会や文化のさまざまなことを学ぶことができること、そして、世界中のことを知ることができ、英語のレベルアップも図ることができる学部だと思ったからです。それらの学びは客室乗務員になったときに役立つと考えました。さらに、社会文化システム学科では、研究対象とする現地へ行ってのフィールドワークもあると聞き、それも興味深く感じました。

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2度の留学で視野を広げ目的を果たす

英語学習への興味が強かったので、大学に入学した頃には海外留学を希望していました。そして、1年生の春休みにアメリカのポートランドへ、2年生の春休みにフィリピンのセブ島へ語学留学をしました。今振り返ると、この2度の留学が、私のアンテナを張れる範囲を広げてくれたと感じています。

ポートランドではホームステイ先のルームメイトがサウジアラビア人やメキシコ人、オーストラリア人でした。文化の違いを日々感じ、異文化交流を体験できたのが1度目の留学だったと思います。セブ島への留学は「客室乗務員になるため」という明確な目標を持ち、マンツーマンの英語学習を選びました。1度目のアメリカとは環境が違い、親近感がある国でした。セブ島から帰国後最初のTOEICテストでは、スコアが約100点アップし「目的を達成できた」と実感しました。

入学当初は「社会学部で世界中のことを学びたい」と考えていましたが、2年生で受講した箕曲在弘先生の「文化人類学」の授業が印象深いものでした。箕曲先生はラオスについて専門的に研究していらっしゃいます。そして、その専門知識を教えてくださるだけではなく「ラオスの研究をまとめる時の方法」という話から、就職活動でのエントリーシートの書き方まで幅広く、論理的にご指導いただきました。箕曲先生からエントリーシートの書き方の説明を受けていなかったら、就職活動の際に「自信を持って書くことができなかった」と思うほどです。

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人生のあらゆる出来事を仕事に生かしたい

大学生活4年間を通して、私は「行動力」が身に付いたと思います。入学して仲間ができて、その友だちがきっかけで留学することになりましたし、ゼミでも能動的に調査する先輩たちがいたので「私もやってみよう」と思い、行動してみました。東洋大学には行動力を促してくれるきっかけがたくさんあります。いろいろな挑戦を応援してくれる大学だと卒業を前にして、あらためて感じています。

第一志望のANAに内定し、「あのユニフォームを着ることができること」が今は、やはり嬉しいです。これから客室乗務員になるための訓練を受け、よりよいサービスを考えていくことになりますが、次の夢は、いつか「ママさん客室乗務員」になることです。いずれ結婚をして、赤ちゃんが生まれたその後も、働き続けたいと望んでいます。育児を通して体験したことを、妊婦さんやお子様連れのお客様へのサービスに生かすことができたらと思います。

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穀山 いづみさん社会学部 社会文化システム学科 4年

  • 内定先:全日本空輸株式会社
  • 所属ゼミナール:長津一史ゼミナール
  • 出身校:札幌市立北海道札幌旭丘高等学校

大学での授業は、座学とゼミ活動によって展開します。建築学科ではゼミ活動の一環として、「TOKYO DESIGN WEEK」に出展しました。授業は先生がお題を用意して指示を出し進めますが、この活動は学生主体で、自分たちでアイディアを出し、つくっていくのです。お金も時間も全てマネジメントしながら進めていくので、学生たちは実際の建築の世界に近いやりとりを経験できます。学生たちにはそれぞれ役割分担があり、協力し合いながら作品を制作、「心衣/kokoromo」を完成させました。
その結果、TOKYO DESIGN WEEK 2015 / ASIA AWARDS 学校作品展において、この作品がグランプリを受賞しました。作品を見た、子供からプロのデザイナーまで多くの人が「いいね」と言ってくれたことや、その人たちの笑顔は、受賞と同じくらい学生たちの自信につながりました。それが今回の成果です。この作品は今後、ニューヨークの展覧会でも展示されます。
建築にはたくさんの人が関わるので、コミュニケーション能力が欠かせません。自分の主張もしっかり持ちつつ、他者も受け入れられる人として、将来は建築の世界でがんばってもらいたいと思います。

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工藤 和美教授理工学部 建築学科 建築デザイン研究室

  • 専門:建築設計、建築意匠、建築・家具のデザイン及びプレゼンテーション手法

カリブはアメリカの奴隷制や搾取、矛盾を背負った地域で、19世紀には奴隷反乱の時期も長く続きました。その時期のカリブ地域に生きた「クレオール」のメアリ・シーコウルという女性は、非常に大きな功績を残して充実した人生を送りました。「クレオール」とは黒人との混血を意味します。彼女はクリミア戦争で医師・看護師として活躍、多くの人の命を救い、自伝も出版しました。また、冒険家でもあり、料理人、商売人という顔も持っていました。さまざまなものが混在しているこれこそ、カリブの特徴そのものです。
シーコウルの生き方からは「自分たちは西洋の亜流ではなく独自のものがある」というメッセージが伝わってきます。また、シーコウルを通してジャマイカの文化を見ると、私たちが学校で学んで来たことは世界の常識かのようですが、実際はかなりヨーロッパ中心のものであるということが分かります。社会文化システム学科のみなさんは、マイノリティに注目し、眠っている価値、まだ見つけられていない価値を発見し、学んでいってほしいと思います。

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三石 庸子教授社会学部 社会文化システム学科

  • 専門:地域研究、文学、米文学

2011年10月29日の朝日新聞朝刊に、『記者が消えた街』という記事が掲載されました。アメリカで地方新聞が廃刊になった結果、市長が給与を増額したり、選挙では現職ばかりが有利になったり、ずさんな裁判が行われたりしました。加工される前の根本的な事実や出来事、つまり「ニュースの鉱石」を掘り出すのは新聞記者の役目だと記事にはあります。記者が社会の不正をチェックし、おかしければ報道することで、私たちはそれを知ることができます。ですから世の中から新聞やニュースが消えてしまうと、社会の秩序が乱れる恐れがあります。
インターネットで簡単に情報を得ることができる今、日本でも新聞の発行部数が減り、記者の数も減少傾向にあります。マスメディアが今後も役割を果たすためには、情報が対価を得られないと厳しいでしょう。そして私たちがをチェックすることが必要です。情報のチェックの怠りはジャーナリズムの衰退につながると同時に、結果的に民主主義社会の崩壊にもつながります。みなさんが学んでいるジャーナリズムというものは、それだけ大きな役割を担っているのです。

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薬師寺 克行教授社会学部 メディアコミュニケーション学科

  • 専門:メディア論、政治過程論

東洋大学に入学したら、「勉強とサークル、そしてアルバイトの3つを完全にやり遂げたいと思っていました」と話す社会学部メディアコミュニケーション学科の日越美優さんは、その言葉どおりに、学生時代にしか経験できない多くのことに挑戦し、その全てに達成感を得ているそうです。しかし、「3つをやり抜くこと」を4年間の目標に決めたのは、高校時代の後悔を繰り返したくない、という強い意志があったからです。

同じ後悔はしたくない。「やり抜く」4年間にする

高校生の頃は、いろいろな物事への興味はあっても「絶対にこれを学びたい!」という強い思いがありませんでした。そうしたなか、文化祭の実行委員でPR・広報戦略の部署を統括したことから、メディア系の学びに興味を持つようになりました。「少しでも興味を持てる分野なら、学ぶのも面白いかもしれない」と思い、メディアコミュニケーション学科を選びました。

入学後は「4年間で勉強とサークル、そしてバイトの3つを完全にやり抜く!」と決めていました。高校時代に、「最後までやり抜けなかった」という後悔がたくさんあったからです。だから大学に入学したら、最低3つのことをやり抜けようと考えていたのです。

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スケールの大きな学びが、興味の幅を広げてくれた

勉強面では1〜2年生のうちに「単位を取れるだけ取る」という目標を立て、かなり密にいろいろな分野の科目を履修しました。その分、3年生以降は語学力を磨くなどの学習に集中的に時間を費やすことができました。

たくさんの授業を受けてきたなかで、特に印象に残っているのは、2年生のときに受講した小川祐喜子先生の「文化社会学」です。社会学の幅広さに改めて気付きました。また、先生が解説する人間関係や社会構造についての話題、エンターテインメント的な視点からの話題などは、アルバイト先でのサービスやイベントにも関連する内容で、「なるほど!」と理解しながら授業を受けていました。教授の学術的な解説や視点と、自分の身近なアルバイトの経験が重なり、興味の幅が広がりました。

東洋大学の学びはさまざまな面で「柔軟」だと思いました。社会学の領域はただでさえ広いのに、レポートや課題でも「あるテーマの中で幅広く考えてもいい」というスタンスのものが多かったようです。先生が「これはこうだ」と正解を決めつけるのではなく、「そうだね、そういうことも当てはまるね」と言って理論を展開してくださることが多く、スケールの広さを感じていました。いろいろものに興味を持ってしまう自分としては、学びやすい環境だったと思います。

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自分だけではなく、周りにも良い影響を与える人材に

サークルは、学内の広告学研究会と、その中から毎年選抜で参加できる学生団体の2団体で活動しました。学生団体の方は約60人で活動し、「Miss of Miss CAMPUS QUEEN CONTEST」という、TV放映もされたビッグイベントを毎年主催しています。イベントは一発勝負。どんなに用意周到な準備をしたつもりでも、トラブルはつきものです。そして迎えた当日の朝、高さ約3メートルもあるドアが壊れてしまいました。私はそのドアを開閉する係。イベントが終わるまでの間50回ほど、高い脚立に登って全体重をかけ、ドアの開閉を繰り返しました。終わったときには疲労困ぱいでしたが、私のトラブル対処法をTV局の方に絶賛していただき、「自分のガッツが通用する」と自信につながりました。とにかく、自分たちで手掛けたことを最後までやり通したかった。その一心でがんばることができたのだと思います。

また、1年生からテーマパークのレストランでアルバイトを続けてきました。最初はサーバーから始めて、限定イベントのMCを担当するようになり、新人教育のトレーナーまで任されるようになりました。週5日シフトが入ることもあり、大変忙しかったのですが、高度なホスピタリティや先読み力が身に付き、続けてきて良かったと思います。

テーマパークはお客様からの期待値がとても高く、一挙一動のミスが許されない職場です。例えば、お客様からクレームが入った時などは、ただ謝るだけでなく、どのようにリカバリーをして、クレームが起こる前よりもプラスの状況に持っていくか、という考え方が求められます。アルバイトを通じて、その時々に応じた柔軟な対応の仕方を学び、自分が成長できたと感じています。

私は基本的にポジティブで、パワフルに生きていると思います。今までは自分がそうであればいいと思っていたのですが、大学4年間でさまざまなことを「やり抜いた」経験を通して、「私の周りの人もポジティブにしていけるような人になりたい」と思うようになりました。その気持ちは、きっと社会でも生きるものだと、卒業を前にした今、確信しています。

日越 美優さん社会学部 メディアコミュニケーション学科 4年

  • 内定先:TOTO株式会社
  • 所属ゼミナール:鈴木崇史ゼミナール
  • 出身校:私立吉祥女子高等学校

「私のターニングポイントは2年生の終わり頃でした」と語る経営学部マーケティング学科の谷田部友理さん。それまではアルバイトや友達とのコミュニケーションを中心に学生生活を楽しんでいたそうですが、3年生から中国留学を目指して中国語を猛勉強し始めました。北京へ留学後も数々のトラブルに見舞われながらも、それを乗り越えて復学し、大きく成長したと自分でも感じています。

楽しかったけど、目標がなかった1、2年次

幼い頃、コンビニエンスストアに行くと「この商品は何故このように陳列されているのだろう」と疑問を抱いていました。高校生になり、この疑問を解くことができる“マーケティング”という学問があることを知り、興味がわいたことから、経営学部マーケティング学科を志望しました。しかし、入学後は、「何を学んで、4年間どのように過ごしたら良いのか」をイメージすることができず、目標も特に持つことができませんでした。とにかく目の前の授業をこなすだけ。アルバイトをして、好きな授業に出て、仲の良い友達とおしゃべりして…。「楽しければそれでいい」と思っていました。

そうしたなかでも、「海外」には興味がありました。ただ「絶対に留学したい」という強い思いではなく、ただ漠然と「いつか中国に留学してみたいな」と思っている程度にしかすぎませんでした。

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「中国留学」という潜在意識が掘り起こされた

自分が変わるきっかけは、大学2年生の冬に訪れました。アルバイト先で、学生団体などのいろいろな活動をしている他大学の先輩が、「谷田部さんはもう少し外を見た方がいいよ。授業やアルバイトでは気付くことのできないことがたくさんあるから」とアドバイスしてくれたのです。

それをきっかけに、「日中学生交流団体freebird」に参加することにしました。関東と関西、中国の上海の3支部で、「日本と中国の相互理解を目指したい」という学生150人ほどが活動しています。最初は、みんな大学や年齢、国籍や価値観などが違って「本当にいろいろな人がいるんだな」という印象でした。それなのに、同じ目標に向かって、意見を出し合って活動している姿に驚きを感じました。そして私は「今までやれなかったこと、本来やるべきだったこと」をやろうと心が決まりました。「本来やりたかったことは何か?」と考えた時、それは「中国へ留学をしたい」ということでした。

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人間としての成長を続け、感謝を持って生きていく

中国に留学する数カ月前から、図書館にこもって中国語を猛勉強しました。実は“努力”に対して、ずっと苦手意識があったのです。しかし、「大学2年生までの時間をムダに過ごしてしまった」という反省があったので、歯を食いしばって勉強し続けることができたと思います。その結果、「自分は努力ができる人間なんだ」という自信が芽生えました。そして、3年生の2月、1年間休学して北京留学へ旅立ちました。

ところが、現地に着いてみると、学生寮の環境が悪すぎて、初めの1カ月ほどは泣いてばかりでした。考えられないほど部屋が狭いことと、共同風呂のドアがないことにまず、ショックを受けました。そして、自分ではだいぶ中国語をマスターできていたと思っていましたが、留学先での授業で先生が話す言葉が全く聞き取れず、寮に帰っては毎日復習し、授業についていくのがやっとでした。半年後に北京内で転校する際には、手続きをするときに現地の公務員と言い争いになったり、伝えたはずの話が通じていないと言われて6往復させられたり、ついには転校が決まっているというのに強制退国までさせられてしまいました。

それでも、強制退国から3日後にはまた北京へ向かいました。「自分が転校したいと言ったのだから、その言動に責任を持とう」と、自分に言い聞かせたからです。自分で言うのもおかしいですが、本当に頑張ったと思います。不思議なもので、今、日本とはまったく異なる中国の民族性を好きになっている自分がいたのです。

留学経験も含めて、大学生活を通じて、自分が一番成長したと感じるのは「努力ができるようになった」ことです。これから社会に出ても「常に何かに打ち込み、成長し続ける人間でありたい」と思います。そして、北京でいろいろ大変な出来事があったにもかかわらず、乗り越えることができたのは、ルームメイトや友達が当たり前のように助けてくれたおかげ。普段は“当たり前”だと思ってしまうようなことにも感謝をしていきたいですね。「誰かが困っていたら、当たり前以上に助けてあげたい。助け合いながら、感謝を持って生きていけたらいいな」と思っています。

谷田部 友理さん経営学部 マーケティング学科 4年

  • 内定先:KDDI株式会社
  • 出身校:私立日本大学第二高等学校

現在の決定は、過去の歴史的な出来事に影響を受けてます。そのため、現在を知るためには過去を知ることが大切ですが、これは簡単なことではありません。「産業革命」を例にして考えてみましょう。
「産業革命」は工業化の出発点と見ることができます。大量にものを作る社会は産業革命によって生まれたのです。1881年に産業革命という言葉を初めて用いた経済学者のトインビーは、「産業革命は、多くの貧苦者が出現した原因である」と考えました。ところが20世紀になると、ロストウが「産業革命は豊かさの出発点である」と唱えます。さらに1985年、クラフツは「そもそも産業革命の時代のイギリスの経済成長はそれほど高くない」と、経済成長率を下方修正しました。「産業革命が工業化の出発点」という認識自体を否定したのです。
では「産業革命」は存在しなかったのでしょうか? この時期のイギリスの経済成長には地域差があり、イギリス全土にわたるものではなかったのです。
このように、歴史を見る目は時代によって変化します。ですから、過去を見ることが現在をどう理解するかにもつながっていくのです。

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道重 一郎教授経済学部 国際経済学科

  • 専門:経済学、経済史

人類が誕生してから1960年代まで、人は燃焼光源と呼ばれる火、油灯、ろうそく、ガス灯などの照明を使ってきました。19世紀初頭から現代までは電気光源の時代で、炭素アーク灯、白熱電球、蛍光ランプが使われてきました。そして20世紀末には、次世代光源として「LED」と「有機EL」が誕生しました。相対効率で考えると蛍光ランプが一番省エネなのですが、水銀を使っているので環境汚染の原因となっており、地球に優しくありません。一方、LEDや有機ELは環境汚染のない、地球に優しい光源なので、多くの研究が行われています。先生の研究室でも、人に優しい照明をつくるため、LED照明と有機EL照明による視覚改善を実験しました。視力は5~11%上がり、近点距離(焦点の合う最短距離)は3~13%短縮、視覚が向上することが分かりました。
これからのエンジニアには、人にも地球環境にも優しい技術開発が求められます。技術は実験検証により確立できます。みなさんも実験による真理の追究、そして発見へと挑戦していってください。

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佐野 勇司准教授理工学部 電気電子情報工学科

  • 専門:電子回路工学、色彩工学、電気電子工学/電子デバイス、電子機器

「大学生は自分の時間がたくさんあって、アルバイトもして、遊びにも行って…」。入学前は大学生に対してそんなイメージを抱いていたという、文学部日本文学文化学科の山田美希さん。多忙な毎日のなかで最初は「楽しいならそれでいい」と思っていた部活に打ち込み始めたことから、バスケットボールが大学生活の中心になっていきました。チームが変わっていくのを目の当たりにしながら、副主将や主将として多くを学んだ2年間は「他では得られない充実した毎日だった」と振り返ります。

授業に、アルバイトに、部活に、多忙な日々

東洋大学には当初、「国語の教員免許を取るため」に入学しました。周囲から「国語の先生が向いているのでは」と言われていたこともありますし、学部・学科が豊富な東洋大学では他学部の科目も受講できると聞き、他にやりたいことが見つかったらそちらに興味を広げていけるかも、との期待もあったのです。

また、私は小学生の頃からずっとバスケットボールを続けてきました。高校時代にはインターハイに出場した経験もあり、大学でも入学前から「バスケ部に入ろう」と決めていました。東洋大学のバスケットボール部の練習は原則として週4回です。強豪チームなら毎日練習があるのかもしれませんが、私の場合は一人暮らしで、生活費は自分で賄おうと決めていたためアルバイトをする必要もあり、練習が週4回ということは、むしろ好都合だと思っていました。

1年生から2年生までは教職課程を履修していたこともあり、スケジュールはぎっしり。時にはアルバイトを掛け持ちすることもあったので、遊ぶ時間の余裕はほとんどありませんでした。アルバイトは飲食業を中心にしており、体力的にきつい時もありましたが、接客が好きなので苦ではなかったですね。

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「勝ちたい」という思いが次第に強まって

バスケットボールの関東大学女子連盟は所属チーム数が多く、4部リーグまであります。東洋大学は私が入部した年に4部から3部に昇格。しかし、翌年にはまた4部に降格してしまいました。「部活は楽しめればいい」と思っていた気持ちが、「勝ちたい」という強い思いに変わっていったのはこの頃からです。

高校の部活と違い、大学では学生が自ら練習メニューを決め、練習試合なども自分たちで組むことになっています。私が入部した頃はやりたい練習だけをやり、きつい練習は避けていたのですが、再び4部に降格したことで「これではいけない」という雰囲気になりました。格上のチームと試合をしたときに体力面の弱さや当たり負けを実感し、「強いチームとは何かが違う」と基礎練習にも力を入れるようになりました。また、私の世代からはインターハイ出場経験を持つメンバーが増えてきたので、高校時代の練習法も取り入れるようになりました。

ミーティングも頻繁に行うようになり、月に1度、練習を休んででもメンバー同士で意見交換をするようになりました。「3部や4部ではなく、2部を目指す」ことを目標に、「今月は何をがんばろう」と短期の目標を立てて実行しているうちに、部としてのまとまりも出てきたのです。

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部活で学んだことを今後にも役立てたい

バスケ部は2部への昇格を目標としていましたが、最終的には3部の上位で終了しました。残念ではありますが、続けてきて良かったと思っています。練習が終わった後のやりきった感じが好きですし、試合で勝てるようになっていくのが面白くて。後半はチームが変わっていくのを実感できて嬉しかったです。

3年で副主将、4年で主将を経験したことで、自分のことだけでなく周りにも気を配ることの大切さを学びました。礼儀作法や忍耐力も身に付きましたし、チームの仲間たちと上下関係なく、大学のことや生活面、一人暮らしのことなど、いろいろな話ができたのも楽しかったですね。

振り返ると本当にあっという間の4年間でした。たくさんの人に支えられながら過ごしてきましたし、大学に行かせてくれた家族のありがたみも感じました。就職にあたっては、家族のそばにいたいと思い、地元・新潟の栗山米菓を選びました。営業だけでなく、商品開発に関わるなど、いろいろな職務に挑戦できるところに魅力を感じました。部活に打ち込むことで得たものや、学んだことを継続しながら、今後は誰かの力になる「頼られる存在」になりたいと思っています。

山田 美希さん文学部 日本文学文化学科 4年

  • 内定先:株式会社栗山米菓
  • 所属ゼミナール:古典文学文化演習Ⅲ(谷地快一先生)
  • 出身校:私立東京学館新潟高校

「水泳に打ち込むために、東洋大学を選んだ」という、経営学部経営学科の髙橋健人さん。最初は寮外生からのスタートだったものの、運動部の学生たちが寝食を共にするアスリートビレッジに入寮してからは、持ち前の向上心とハードな練習が実を結び、着実にレベルアップを果たすことができました。スポーツに専念できる環境に身を置き、信頼できる仲間たちと切磋琢磨しながら過ごした学生生活は、集中力や責任感など、社会人として活躍していくために多くのことを学んだ大切な時間だったと振り返ります。

水泳を極めるために、選んだ東洋大学

東洋大学に入学したきっかけは、高校まで水泳をやってきて、大学でも続けていきたい、レベルを上げたいと望んでいたからです。いろいろな大学を検討しましたが、東洋大学は総合スポーツセンターが完成したばかりで環境も良く、一番自分に適しているのでは、と感じたので入学を決めました。

総合スポーツセンターにはアスリートビレッジという運動部の学生のための寮があります。私は入学当初から入寮を希望していたのですが、「高校でインターハイ(全国高等学校総合体育大会)を突破していないと入寮できない」というルールがあり、1年生のときは寮外生として練習に参加していました。しかし、実家から通っていると朝の練習に参加するのが遅くなってしまうことから、2年生になる直前の3月、入寮許可を得られました。

それからはずっと練習に明け暮れる毎日でしたね。まず朝の7時から陸上トレーニングがあり、その後プールに入って2時間練習をしてから授業へ。そして午後はまた練習。基本的に月曜日は休みでしたが、それ以外は毎日6時間くらいの練習をこなしていました。

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泳ぎの技術も、意識面もレベルアップ

試合では主に、50mと100mの自由形に出場しました。1年生のときはサポート的な役回りに徹していましたが、2年生でインカレ(日本学生選手権)の標準記録を突破することができました。3年生のインカレでも着実に順位を上げ、4年生になり、4月の初めての試合でジャパンオープンの標準記録を突破。9月のインカレではリレーの2番手に選ばれ、B決勝で1位になりました。個人でも100m自由形で20位台になり、しっかりと成績を残すことができました。こうした結果を残せた理由はやはり「好きこそものの上手なれ」。何か1つのことに必死に取り組み、諦めなければ必ず道は開けるのだということを実感しました。

周囲からの刺激も大きかったですね。1学年下には、日本代表にも選ばれるようなトップスイマーがいました。普段の練習で彼らに食らいついてタイムを競うことが、自身のレベルアップにも役立ちました。また、寮で生活を共にしながら泳ぎについて語り合うなど、意識面の影響も大きかったと思います。

四六時中、水泳部の仲間といると信頼関係が生まれ、互いの成長も見えてきます。3年生になる頃には「自分たちで行動を律し、部を引っ張っていかなければ」という責任感も芽生え始めていました。それまでの自分を振り返ると、勝手な行動が多かったかもしれません。でも、試合に向けて毎回きちんと練習に取り組んだり、周囲のアドバイスを聞き入れたりしなければ、泳ぎも向上していかないと気付いたのです。後輩も増えてきて、自分勝手な行動を慎もうと心掛けるようになりましたね。

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厳しい練習を乗り越え、つかんだ消防士への道

3年生になると徐々に就職のことも考えるようになりました。私は父と母、それに姉も公務員という一家に育ったので、自然と公務員の仕事に興味を持ちました。身近な先輩で消防士になった人がいたこともあり、身体を動かすことが好きなことや、使命感への憧れなどの理由から、消防士一本に絞って公務員試験対策を始めました。

一日6時間の練習に加えて授業もあったので、試験勉強は毎日時間を見つけては少しずつ取り組みました。参考書を買い、過去問を解くなど独学が中心でしたが、就職支援課の方にいつも相談相手になっていただき、論文の添削などでお世話になりました。試合の一週間前などは、水泳のこと以外考えられなくなります。そんな時でも就職支援課の方は「メリハリをつけて勉強するように」とアドバイスしてくれました。

9月のインカレをもって選手生活を終了し、卒業を控えた今、次のステージでは立派な消防士として市民の安全を守れるよう、がんばっていきたいと考えています。

髙橋 健人さん経営学部 経営学科 4年

  • 内定先:さいたま市消防局
  • 出身校:私立大東文化大学第一高等学校

財務会計とは、会社の外部に対して報告する会計のことです。財務会計では、利害関係者に対して会社の財政状態や経営成績、お金の流れに関する情報を提供しています。株主への配当額や納税額などの重要な計算の基礎にも関わるので、財務会計は社会に対しても大きな影響を及ぼしています。また、投資家が投資するかどうか決める、その判断を支援する役割も果たしています。そのため、適切な情報が提供されないということは、市場の信頼性を損ねることにつながります。
不適切な会計は市場の信頼を乱します。たとえば創業140年の老舗企業で世界的に名が知られている企業が、7年間にわたって不正な会計処理を行っていたケースがあります。最終的に不適切会計による利益水増しは2,248億円にも達していました。この結果、課徴金84億円、株主への配当金は無配、株は特設注意市場銘柄に指定されました。
会計情報は市場のインフラともいえるものですから、財務会計が果たす社会的役割は非常に重要なのです。

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杉山 晶子教授経営学部 会計ファイナンス学科

  • 専門:税効果会計、国際財務報告基準、税務会計

ドイツでは閉店法によって日曜日に店の営業はできませんでしたが、憲法改正により、州ごとに決められるようになりました。その結果、「ベルリン開店法」では、年間10日間は日曜日の開店もOK、そのうちアドヴェント(「降臨節」とも呼ばれるクリスマスまでの1カ月間)の日曜日4日間も含むとしました。この法律をキリスト教会が「憲法違反」と訴えたのが、ベルリン・アドヴェント事件です。ドイツの連邦憲法裁判所は、「保護義務の水準を満たしていないため基本法違反」と判断しました。こうした判断には、国民の保護を口実に国家が介入し、私的自治の侵害につながるという問題が潜んでいます。また、日本では具体的な事件を解決するために違憲審査権を行使するのに対し、連邦憲法裁判所では憲法裁判ができる唯一の機関として、事件に関係なく審査できるので、「司法の政治化」という批判もあります。
このように、外国の憲法と日本の憲法を比較して学ぶ「比較憲法」では、社会全体に視野を広げて検討していく面白さがあります。外国の憲法や憲法判例を学ぶことが、日本国憲法を考えるきっかけとなってくれることを願います。

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武市 周作准教授法学部 法律学科

  • 専門:憲法