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東洋大学の文人の系譜
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岡山県の生家で 昭和25(1950)年10月 『木山捷平全集』第2巻口絵 講談社、1978年 ![]() |
木山 捷平(きやま しょうへい)明治37(1904)3月〜昭和43(1968)年8月木山捷平は、明治37(1904)年3月26日、岡山県小田郡新山村(現在の笠岡市)に父静太、母為の長男として生まれた。 父静太は、一時岩渓裳川に師事し漢詩を好んだ文学青年であった。県立矢掛中学校在学中から文学に関心を持ち、詩・短歌・俳句などを創作し、 『文章倶楽部』などの雑誌に投稿した。文学を志して早稲田大学への入学を希望したが、父の反対にあい断念、姫路師範学校第2部に入学した。 卒業後の大正12年から小学校で教鞭をとりながら詩作に励んだ。大正14(1925)年4月上京して、東洋大学専門学部文化学科に入学、 この頃赤松月船主宰の詩誌『朝』(『氾濫』と改題)の同人となった。昭和2年に病気のため、郷里と姫路で療養生活を送ったが、 昭和4年ふたたび上京、5月に第1詩集『野』を、昭和6年6月には第2詩集『メクラとチンバ』をそれぞれ自費出版し詩人として注目された。 昭和6年11月、宮崎ミサヲと結婚した。 |
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![]() 晩年の木山捷平 東京練馬の自宅で 昭和43(1968)年3月 『木山捷平全集』第7巻口絵 〔週刊朝日提供〕 講談社、1978年 |
昭和8(1933)年3月、大鹿卓、太宰治らと同人誌『海豹』を創刊、また井伏鱒二・尾崎一雄らを知り、以後、小説家としての道を歩み、 昭和14(1939)年5月に最初の小説集『抑制の日』を刊行した。昭和17年6月から8月にかけて満州(現在の中国東北部)方面を旅行、 昭和19年12月、満州の農地開発公社嘱託として長春(当時の新京)に赴き、翌年8月現地召集をうけて応召。敗戦により1年ほど長春で難民の一人として苦しい生活を送った。 戦後しばらく不遇であったが、昭和30年以後、庶民生活に徹しながら材を身辺に取り虚実を巧みにない交ぜた作品集を発表、独自の「私小説」の世界が世の注目を引くにいたった。 |
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![]() 『木山捷平全集』全8巻 講談社、1978〜1979年 附属図書館所蔵 |
主な作品には、淡々とした筆致で中国での戦争体験を描いた『大陸の細道』(昭和37年)があり、この作品により昭和38(1963)年3月、
芸術選奨文部大臣賞を受けた。このほか、円熟の度をますます加えた短編の佳作『苦いお茶』(昭和38年)、『茶の木』(昭和40年)などがある。 |
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