二か月前に新橋~神戸間が完成したばかりの東海道線も不通で、やむなく四日市から横浜へと汽船で向かわなければならないほどであった。のちに円了はこの被害を「風災」と呼んだが、予想もしなかった校舎の倒壊であった。しかし、風災から九日後に、哲学館は新校舎の再建工事に着手した。再建工事から一週間後、勝海舟は円了を私邸に呼び、「哲学館の主義は大賛成である。よろしく精神一到を以って、その成功を果たすべきである」「これは私のいささかの志だよ」と言って、紙包みをポンと渡した。後で開いてみると、一〇〇円という大金が包まれていたという。急がれた新校舎が完成したのは、それから一か月半後のことである。落成した新校舎は木造二階建てで、一階には一五〇名、二階には五〇名を収容できるようになった。寄宿舎も二階建てで、部屋が一階二階ともに一〇室あり、一室につき二~三名が寄宿することができた。円了が二年前の創立のとき、現在の仮教場から今後は独立した一館を建設できるようにしたいと述べたその抱負は、こうして実現された。40
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